台湾の東海岸に太魯閣峡谷という場所があります。ここで行われるヒルクライムレースは過酷なコースとして有名で、ほぼ海抜0mの海沿いの砂浜から台湾国道最高地点 (武嶺・標高3,275m) まで僅か88kmで到達します。
走行距離は90kmに満たずして、獲得標高は驚愕の3,600m超。
ただし、その大半は (コース中では比較的) 斜度が緩く、スタート地点から74km進んでも獲得標高は約2,400mほどです。
言い換えると、その後の14kmが1,200m超の獲得標高を稼ぐ特に厳しい区間なのですが、その厳しい区間と比較しても見劣りしないスペックを持つ峠が日本にもあります。
山梨県と長野県の境界上にある大弛峠です。
登り初めからの走行距離は 30km にして、獲得標高はおよそ 2,000m。
太魯閣のような斜度15%以上の急勾配はありませんが、最後の最後の瞬間まで斜度9%の登り坂が出現する険しい登り坂が30km途切れずに続きます。
補給地点は基本的に存在せず (琴川ダムまでは自販機が数ヶ所ありますが売切れでない保証はありません・ダム以降は峠まで一切ありません)、携帯電話の電波も入りません。
温度や天候の変化も激しく体調を崩しやすい条件が整っているので、登山に来るような心構えで臨まないと後悔します。
降りにおいても急勾配が30km連続しますので、タイヤもブレーキも高性能できちんと整備されたものが必須となります。
峠付近は待避所もない車幅の狭い林道で、登山客の自家用車や乗り合いタクシーが頻繁に通ります。
登りと同じ、またはそれ以上に注意が必要です。
私が大弛峠に訪れた理由は、冒頭に述べた太魯閣峡谷に登れるだけの走力を維持したかったからです。
峠道の入り口となる塩山には午前10時ぐらい迄には到着していたかったのですが、貫通パンクのトラブルが発生したり、笹子峠に心を奪われて思いの外に長居してしまった影響により登り始めたのは11時過ぎ。
外気温は28度に迫り、快晴の下、直射日光が容赦なく照りつけます。
体感温度ではそれ以上に暑く感じるのは、道中に日陰がない事と風が吹かない事が影響しているのかもしれません。
暑さで知られる京都盆地に住んでいた際、夏の暑さは湿気と無風が生み出すものだと考えていた事を思い出します。
甲府盆地の底部に位置する塩山も地理的条件は京都と変わりません。
登り始めると、ダムまでが本当に長くて気が遠くなります。
クリスタルラインと書かれた山梨県道219号線に入ると、葡萄畑と家屋が散在する牧丘町を縦断するように南から北へと上がって行きます。
綺麗な舗装と真っ直ぐな2車線の見た目に反して斜度は最初から7%もあります。
金櫻神社を超えると葡萄畑と集落も終わり、深い森の中へと入り込んで行きます。この辺りから既に携帯電話の電波が入りにくくなり、「お休み処はしば」さんの前を通り過ぎると完全に圏外となってしまいます。
舗装は変わらず綺麗なままですが、最初の橋を過ぎた辺りから1車線となり、斜度も5%から6%と9%あたりを行ったり来たりします。
たかだか10kmぐらい先にあるはずの琴川ダムが異様に遠く、進み続けても全く見えてきません。
ダムの数km手前になって、ようやく残りの距離を表示する看板が視界に入ってきます。
しかし、斜度のせいでほとんど進まず、左右の視界を樹木に覆われて展望が良くないので、延々と同じところを走っている気分になります。
残念ながら視界を遮る樹木は日陰にはならないので、この辺りではまだ直射日光を浴び続ける事になります。
この峠は理不尽です。
登り坂に呆れた頃に琴川ダムに到着します。
ここでも相変わらず携帯電話の電波は入りませんが、お手洗いと飲料水の自動販売機があります。
実は後述する理由で、ここに到着するまでにまともに走れる状況ではなくなっていたので、引き返すべきか迷いました。
飲料水を補充して、決死の覚悟で林道のゲートをくぐると、意外にも斜度が落ちて平坦と錯覚するような道が続きます。
この林道では何故か「マイクロバス等11人乗り以上の車両は通行できない」という注意書きばかりを目にします。
肝心の名前は不明です。
大弛峠までの距離は案内看板によると14kmですが、この案内看板と Garmin の走行距離から類推した目的地までの距離は、場所によって食い違ったり、一致したりするので参考になりません。
斜度が下がると路面が荒れ気味になり、「もう斜度は上がらないのかな」と思えば自然と6%ぐらいに落ち着き、いつの間にか9%に戻っています。
この峠は本当に理不尽です。
暑さが気にならなくなっているのは、琴川ダムを過ぎた辺りから峠に雲が掛かっていた為です。
甲府盆地は晴れていて30度近い温度なのに、大弛峠の近くは寒くて凍えるぐらいに気温が下がります。
峠まで辿り着かないうちから、Garmin 計測での気温は9度を指しています。
11.2%を指している斜度計より低い数字に、どちらが気温でどちらが斜度を指す変数だったか、一瞬、頭が混乱しました。
ほぼ1年ぶりぐらいにヒルクライムで攣った両脚が止まらないよう、負荷を掛けずに慎重に進み続けてようやく峠まで辿り着きます。
寒過ぎる気温と長過ぎる坂道に頭がやられて、峠まで到着しても「陽が落ちる前に到着できて良かった (午前中に登り始めたはずなのに) 」以外の感想が湧いてきませんでした。
登っているうちから凍えるほどでしたので、ダウンヒルは指先の感覚がなくなるほど体感温度が下がります。
ひたすら登り続けて来た分だけ、琴川ダムまで終わりなく降り続けます。
登ってくる途中で擦れ違った車に対しては、速度を出し過ぎていて危ないなと何度も不満に思ったものです。
しかし、いざ自分が降る側になると「ブレーキフルードが沸騰しかねないから、可能なところでブレーキの使用を控えて冷却させるのは、止むを得なかったのだ」と実感できました。
この峠は興味本位で訪れてはいけません。
急勾配こそないものの、危険な要素が多分にあり、携帯電話の電波圏外である為に非常時のロードサービスも当てにできません。
位置的には東京からでも自走で訪れる事のできる場所ですが、来られるのであれば予め山道の登りと降りの両方に習熟して、危険予知の勘が働くようになってからの方が間違いありません。
私が携帯電話の電波を常に気にしていたり、琴川ダムで走行を断念して折り返そうとしたり、定期的に一時停止して安全確認を行っていた理由ですが、後輪がいつまで保つか不安になった為です。
大弛峠に至るまでの道中で乗用車に幅寄せと急ブレーキの進路妨害を受け、路上の飛散物 (金属片) に乗り上げたのですが、そのうちの1片が後輪のタイヤのトレッド面を貫通してチューブの中まで到達しました。
貫通して5mmの穴 (帰宅後に測定) が空いたタイヤにタイヤブートを貼り付けて応急措置を行い、笹子峠を登って降りて 大弛峠まで何とか到着しました。
しかしながら、パンク時にタイヤのサイドウォールも擦っていたのか、あるいは穴の空いたまま50km近く走行した為に想定外の負荷がかかっていたのか、琴川ダムに到着する直前あたりからは糸も解れてきました。
このまま亀裂が入るのか、その過程を飛ばしてバーストするのかを考えると、あとどれくらいのタイヤの寿命が残っているのか本格的に心配になってきました。
貫通した穴が広がったり、タイヤの形が著しく変形する様子はありませんでしたが、ダンシングや降りのカーブでは使ってはいけないと直感が警告します。
林道のゲートをくぐった際は、違和感を感じたら直ぐに自転車を降りて、30km歩いて帰ろうというという決死の覚悟が求められました。
後輪の様子を見ながら大弛峠に到着した際は、走行不能に陥って立ち往生したままゲートが閉められる前に到着できて心から良かったと思いました。