MTB で東京湾一周


ロードバイクで人気な一周系イベント。

ちょうど良い距離の牡鹿半島や浜名湖、忍耐と集中力が要求される霞ヶ浦や琵琶湖、走力がなければ半周も覚束ない伊豆半島、果ては入念な準備とタイムマネジメントが必要とされる北海道まで一周できれば、どこでも対象になりえます。

ところが、誰もが知りながら絶対にイベントにならないルートがあります。それが東京湾一周 210 km (獲得標高 約 290m) です。

多くの人にとって一周系で最も価値が低い東京湾一周。その挑戦は他の一周とは一線を画した条件を有します。

全線に渡って

・線路と並走するので何時でも何処でもリタイアできる
・どこかしらに駐輪場があるので輪行準備すら不要
・信号まみれで走力と完走時間に何の相関もない
・道幅が狭い上に交通量も多くて危険
・排ガスも多いので健康に悪い

という他の一周系にはまず見られない特徴があります。

ほかの一周で必要とされる走力や体力やマネジメント能力は不要で、むしろ、必要とされるのは渋滞と信号に心を乱されない平常心、馬鹿馬鹿しさに打ち克つ継続力、危険運転する車に対する注意力、そして、この無意味な苦行を中断して輪行で帰宅しようという誘惑に負けない克己心といった精神的なものです。

自転車に 30㎞ 乗って筋肉痛にならないぐらいの最低限の体力さえあれば、東京湾一周に特別な機材やトレーニングなんか必要ありません。

信号順守で安全運転していれば、どうせ 100m に一回は信号に止められますから。
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紅葉の奥多摩

日本の冬には紅葉がある。転職以来、一年の半分以上は大陸で過ごしていたので、そう言えば紅葉の季節なんてものを意識するのは数年ぶりかもしれません。

冬と言えば 20℃ を超す気温のもと半袖で西貢や大嶼山を巡る季節。そんなふうに考えていた時期が私にもありました。

そうした今までの当たり前を捨てて、新しい生活様式を受け入れることに難儀しているというわけでもないのですが、新しい仕事に新しい課題が山積していてなかなか休日を取れません。

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盛夏の伊豆大島

生来的に引きこもることができない性格なので、長らく続けていた自粛生活の最中でも「おいで」と言われると反射的に出かけてしまいます。

そのことを今さら敢えて記述する必要もないかとも思われましたが、こうして東海汽船も観光キャンペーンを始めたので、今だからこそ書き残しておくのも悪くはないかと思われた伊豆大島の鮮明な記憶。

時を遡って7月末。来島自粛が解除されて6週間が過ぎ、長らく降り続いた雨が去った後。

雑な季節調整が入って気温が 30℃ を越えた超えた頃、新造貨物船 SALVIA III こと三代目さるびあ丸に自転車を載せて南海の島に向かいました。

竹芝の客船ターミナルは人気も疎らで、至るところに張り出された感染症対策の告知がただならぬ雰囲気を醸し出し

ていたのは最初だけで、出航1時間前になると家族連れ、釣り人、ダイビングサークルらしき大人数の集団が続々と集結して、ターミナル内で他人と間隔をあけることすら難しいほどに密な空間になりました。

どうやら伊豆大島や神津島に向かう船と八丈島へと向かう船に乗る船客がいるらしく、とくに後者は大人数の若者と派手なサーフボードが印象的で、真夏の島嶼部の本来の活況が目に浮かぶように思われました。

呆気にとられていると、しばしの間を置いて乗船が始まりました。乗り込むのは今年6月に新規就航したばかりのさるびあ丸です。

客船ターミナルから屋外に出て 2m の間隔を空けて乗船口に並び、検温を経て乗り込んだ新しい船は驚きと感動に満ちていました。

かつて階段の下に並べられていた大型手荷物(自転車やサーフボードなど)には専用の手荷物置き場が用意され、売り切れのまま放置されていたアメニティグッズの自販機は全てが刷新され、食堂も展望重視の窓がいくつも設置されていました。

客室も新築のようにきれいで快適です。ただし、食堂が充実したためか、カップ麺や冷凍食品のような軽食を扱う自販機はなくなっていました。

伊豆大島など近距離の島に向かう場合、夜間に出航して早朝に到着するうえに島内に早朝営業している飲食店などは存在しないため、船内で補給食を調達できないのは少し厳しいと思われました。




新しい船に夢中になって、なかなか寝つけなかったことなどお構いなしに朝はやってきます。夜間に東京港を出航した船の大島到着時刻は翌6時。この時期は朝日が昇った直後に到着です。

海上から眺める日の出はいつでも最高。

起床の放送が入ると間もなく大島で下船する船客で出入り口付近は大混雑です。

あらためて夏季の来島者の数に驚かされます。前回、大島を訪れた際は椿まつりの時期でそれなりに賑わいはあったものの、今回とは比較になりません。

大勢の団体客をさきに下船させて、自転車を抱えて一番最後に降り立ったことでようやく到着した伊豆大島。乗船時のような検温も宿泊施設の確認もなく、拍子抜けするほどあっさりと上陸できてしまいました。

じつは、このとき連れが二人分を予約してしまっていた関係で、帰りの船も宿泊施設も予約しておらず、それが原因で上陸を断られるのではないかと少しだけ考えていました。

そんな懸念をよそに船客の下船を終えた船は、つぎの目的地へと向けて早々と出航していきました。つぎは利島か新島か。最終的に式根島と神津島を経由して、また大島そして東京へと戻っていきます。

こちらは現地集合で待合せからの大島探索ライドに出発です。ご存知の通り、伊豆大島にはコンビニエンスストアがありません。しかし、朝 8:30 まで待てば売店の営業も始まり、それなりに補給食の調達も可能となります。

まずは動物園付属の椿資料館にて朝食のアイスクリームを確保。直後に訪れる裏砂漠の山岳地帯に向かうために必要な糖分と水分を摂取します。

大島の外周部では北東の動物園と南東の波浮港とのあいだが山がちで、大変ながらも走っていて気持ちが良い区間が続きます。その一方で途中休憩できる場所はありませんので事前準備も重要です。

糖分補給を終えて飲料水を購入したら、いよいよ裏砂漠へと足を進めます。

気温と湿度が高いため展望は幾分か悪くなっているものの、三原山まで見渡せる快晴と直射日光を遮る生い茂った木々、海から吹き付ける微風は悪くはありません。

午前中の澄んだ空気も相まって気分は最高です。ここまで来たのは、これで4回目になることもあって途中で立ち止まって撮影することもなく、上機嫌で裏砂漠を通り抜けて波浮港へと一気に降ります。

波浮港は内浦湾のような見事な噴火湾の内部にあり、時計回りで大島を一周する場合にはダウンヒルで全容を拝めるので一見の価値ありです。

この辺りには市街地が広がっていて島内では数少ない信号や交差点もあるので、個人で訪れる時には私は迂回することが多いのですが、地形も見事ですし、水面も美しいので立ち寄ってみるのも悪くありません。

コロッケで有名な鵜飼商店や明治時代の史跡である旧甚の丸邸はここにあります。




我々が立ち寄った際には地元の子どもたちが海に飛び込んでいたり、その横を悠然とフグが泳いでいるのを見かけたり、いかにも夏休み然とした情緒がありました。

ここからは大島の郊外景色を眺めつつ、若干の登りが続きます。

歴史のある波浮港と現在の中心市街地である元町とを結ぶ南部のこの区間は、さながら大島の幹線道路であり、交通量もそれなりにあり、周辺の景色も人が暮らしていることを感じさせる場所が多いです。差木地あたりには売店もあります。

そうした市街地や郊外風景を走り抜け、やがて民家が途切れたあたりに突如として現れるのが大島を象徴する地層大切断面です。

この辺りまでやって来ると利島や伊豆半島、富士山などが水平線上にはっきりと見えてくるものですが、さすがに気温30℃超では霞んでしまって遠景は拝めないようです。

つまりは冬にまた来ましょうということです。

大切断面からの切り通しを抜けると、ほどなくして御神火スカイラインの入り口が見えて、すぐに元町の市街地へと辿り着きます。

町役場や警察署、裁判所や都立高校などの施設が集まる大島の中心地です。

ここで名物の鼈甲寿司といきたいところですが、アレルギーで食せないうえにそもそも海産物おいしいなんて思わないので、そちらは相方に任せて昼食は唐揚御膳で決まりです。

大島で唐揚げを食する必然性はありませんけれども見た目どおりに美味でした。

その後は相方の体力などを考慮して、午後は温泉で汗を流すことに決まりました。感染症対策で利用できないのではないかとも危惧されたところは、施設利用前に検温して現住所を提出すればとくに問題ありませんでした。

なにやら島民とそれ以外で利用時間を分けるなどの対策をしているという話を伝聞で知ります。

感染症対策と自粛期間で大きく変わってしまったのではないかという諸々の心配とは無縁のように、元来の雰囲気やおおらかさをそのまま残している島内を見ていると安心感を覚えます。

その後は着替えて元町の市街地を散策してみたところ、こちらも繁忙期にも関わらず島民の親切さや人の良さは相変わらずです。行政区分としては東京都なので支援も受けられずに大変だと思うのですが、火山災害や台風から復興してきた島民は強いと頭の下がる思いです。

来たらお金を落とすということで万人受けしそうな地酒『御神火』や明日葉サンドを買い込んで荷物の中にしまい込みました。

こうしてあらためて考えてみると伊豆大島は実に見どころ豊富です。

とくに夏季は海水浴にキャンプにサーフィンと多種多様な目的で人が訪れるため、本来なら今よりもっと活気に満ちているであろうことが容易に想像されました。

そして結局、今回も火口まで行くことはなかったなとやり残したことをそのままにしてしまった気分です。まあ御神火スカイラインも復旧工事により途中通行止めだったので。

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