MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 雲の上に登るヒルクライムレース


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


最初から、薄々、気がついていました。名を連ねるスポンサーの豪華さ。レーシングゼロで最低ラインという決戦ホイール。アルミフレーム特有の溶接跡が見られないカーボンフレーム。Dura-Aceのクランク。

他の参加者の機材も、今までに参加したどのイベントよりも段違いに本気です。

それもそのはず。 MAXXIS TAROKO INTL HILL CLIMB は、乗鞍岳(自転車で行ける日本最高峰)の3倍 と形容される 獲得標高富士あざみラインと比較される 激坂区間 を併せ持った、世界でも有数の過酷なコースを走るヒルクライムレースだったのです。

私がその事実を知ったのは、しかし、大会前日の夜でした

そうでなければ、レース出場を意識したカーボンフレームにチューブラータイヤを履いて出場した事でしょう。

実際に私が乗ってきたのは、頑丈さと耐久性に全ステータスを振った、フォークまでクロモリ製の 10.02kg のエントリーモデルに、メンテナンス性とランニングコストを重視した 1,647g のホイールです。

利点と言えば、これに乗って登り慣れていることとスポーク切れなどのトラブルに強いことの2点のみ。

しかも、前日の雨とトラブルにより、潤滑油が流れ落ちていたり、後輪が縦・横の両方向に振れていたりしており、とても本調子ではありません。




そんな状態で気分も乗り気ではないので、朝は寝坊して4時半に隣室に泊まっていた みかんさん に叩き起こされます。

寝起きで食欲も湧かないため、ほとんど朝食にも手を付けずに、メカニックがいる事を期待半分、諦め半分の心情で会場のスタート地点を目指しました。

予報に反して天気は晴れ。早朝から南国の空が青に染まります。

スタート会場に着いて、スタッフに機材トラブルについて伝えると、その場でメカニックの人が振れ取りの応急処置を行って下さいました。あくまで緊急の応急処置なので、横振れも縦振れも取れた訳ではありませんが、調整前と比較すれば格段に良くはなっています。

6時のスタート時間が迫りつつあるので、受付を終えた選手から順次、海岸のスタート地点へと移動していきます。

最低限の調整を終えて、みかんさんと私もスタート地点へと向かいます。もうじきスタートが切られるはずです。

スタートの合図が鳴ると、集団が一斉に動き出します。

山麓に至るまでの数キロメートルの市街地では、各参加者が自身のペースで流して行く事で、自然と小さな集団がいくつも形成されます。

これから始まる長い登りに備える為か、最初から全力で飛ばす選手が一人もいない事が、却って出場者たちの経験を豊富さを際立たせます。




大理石の渓谷を抜け、幾つものトンネルを潜ると、徐々にヒルクライムレースの幕開けに相応しい山道へと景色が移り変わります。

勾配はまだまだ緩いので速度は落ちませんが、選手たちは徐々にバラけて、小さな集団を幾つも形成するようになってきました。

時折、登りの急勾配や、緩やかな下り坂が幾つか現れては、単調な峠道に彩りを添えます。その間にも標高は400m、600m、1000mと、どんどん上がり続けて行きます。

並みの峠であれば、1000mも登れば視界が開けて空が広く見渡せるものですが、ここは3000m級の山がひしめく台湾中央山脈。

海抜0mから1000mほど登ったところで、まだまだ谷の狭間でしかありません。

見上げれば、峡谷の対岸の遥か上へと続く道が見渡せます。

太魯閣の恐ろしいところは、前方や対岸に見えた道路のようなところには必ず行く事になるところです。この辺りには1本の道路しかないので例外はありません。

遥か下の方に見える、白く畝ったものが、先ほど通ってきた道路です。

まだまだ、この先 1000m ぐらいは登る事になります。

このレースの更に恐ろしいところは、途中に設けられた数少ないエイドステーションを多くの選手が無視して素通りしている事です。

レースとはこういうものなのかもしれませんが、意図せず初出場した私にとっては衝撃的な光景に他なりません。

標高1600m。スタート地点から約50kmほど走った地点で、ふと後輪が異様に重い事に気がつきました。

空気が全く入っておらず、リムで走行している状態でした。急いでタイヤを外し、チューブを入れ替えてインフレータを吹かしていると、5分ぐらいかけてサポートカーが到着しました。

開口一番に出てきた言葉は、「修理は良いので何か食べ物を持ってきて欲しい」の一言。

朝食をほとんど食べなかった上に、周りの選手に遅れまいとエイドステーションに立ち寄らずに来たので、既にハンガーノック気味だったのです。

そうこうしている内に、遥か後方に沈んでいた みかんさん に追い着かれます。これで1回目。

恐ろしい事には、2回目もあるのです。それもまたスローパンクが原因となって。

53km辺りに差し掛かったところで、また後輪が柔らかくなっている事に気がつきました。近くを走っていた他の選手(たまたま日本人でした)に予備のCO2ボンベを恵んでもらい、何とか2本目の予備チューブを嵌めなおして走行を続けます。

ここから7%を超える急勾配が頻繁に出てくるようになり、レース的にも佳境に差し掛かります。

碧綠神木までの 2100m までの登りから一転して現れるダウンヒルを超えて、チャレンジコース最後の登りである關原雲海までのラストスパートに全力でクランクを回します。

スタート地点からの距離 74.09km。標高 2375m の關原雲海に6時間0分代で辛くもゴールを決めました。

順位は制限時間内にゴールした60数人中の40番台。

そもそも圧倒的多数の選手が、この先、更に距離で10km、標高(獲得標高ではない)で1000mほど登る International コースの方に参加している上、制限時間内の完走者も少ないので、あまり参考になりません。

私もそちらに出たかったのですが、止むに止まれぬ事情で Challenge コースに参加する事になったのは前述の通りです。

「来年が本番」を合言葉に覚悟を新たにします。
マイペースで登ってきた みかんさん は、私のゴールより27分後に無事に完走し、欲しがっていたメダルと完走証を手にしました。

関連記事:

MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 大会前日受付


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


ホテルで目を覚ますと、眼前に広大な太平洋と海に迫る急峻な山脈が広がっていました。

ヒルクライムの受付開始時間は、公式ツアーの到着時刻に合わせて午後2時からとなっていますが、私が受付会場となる花蓮アスターホテルに到着したのは昨晩の真夜中。

台湾での自転車輪行について不安があったので、前日の午後の飛行機で先に会場に到着する事を選びました。

無事に輪行を済ませた後での感想を述べると、受付当日の朝に台北に到着して、そこから鉄道で花蓮で来る事も十分に可能でした。

時刻表で輪行可能と表示されている急行列車の予約が取れなくても、事前予約の不要な区間快で約4時間ほどで台北から花蓮までは辿り着けます(桃園からは約5時間)。

午前中の時間を利用して、みかんさんと花蓮の散策を行います。



昨晩に夕食に出かけたときには何も見えませんでしたが、花蓮は台中(台湾で3番目に大きな都市)を小さくしたような街で、派手な看板と雑然とした商店が中心市街に広がります。

駅前には GIANT STORE もあり、現地での自転車の整備にも困りませんが、昼食を摂る場所に若干の苦労を要しました。

昼時に開店している飲食店を見つけるのにまず苦労し、見つけたところでメニューが読めない事で更に苦労する事になりました。

簡単な挨拶や自転車の整備のためのフレーズよりも、まず、メニューが分かるようになる事の必要性を痛感しました。

大会受付に戻る前に花蓮駅前に寄り、大きな手荷物を預けます。

みかんさんと私は、今夜は大会会場となる太魯閣峡谷の近くに宿泊し、大会後にまた花蓮へと戻って来るためです。

太魯閣峡谷は、この花蓮の市街地から 20km ほど離れたところにあるので、そこまで大きな荷物を持って歩きたくはありません。

公式ツアー参加者の場合、受付会場の花蓮アスターホテルに泊まり、当日の朝に送迎バスで会場に行く事になります。

我々は前述の通り、公式ツアーを利用するつもりは微塵もないので、会場近くに自分でホテルを予約して、当日は自走で会場へと向かいます。




食事を済ませ、荷物を預けたら、アスターホテルに戻って大会受付を済ませます。

受付は午後2時からとなっていましたが、日本語のガイダンスは公式ツアーの到着に合わせて午後5時からとなっていました。

これから20km離れたホテルに行かなければならないので、受付はともかく、5時のブリーフィングの方は参加したくありません。

説明書を見ると参加できない場合は、個別説明や受付代行を行うので連絡をして欲しいとの記載があったので、スタッフを捕まえてブリーフィングに参加しなくても良いかどうかを英語で尋ねます。


何人かのスタッフに尋ねていると、日本人担当のスタッフが現れてブリーフィングの概要を教えてくれました。

彼女によるとブリーフィングでは、コースのルートや注意点を教えてくれるとの事。工事区間や路面の荒れた場所があるので、予め把握したい場合は参加してくださいと言われます。

ガレた林道なら任せろ 路面の悪い峠道には慣れているので大丈夫と答えると、参加しなくても構わないとの事なので、ゼッケンを付ける位置やスタート地点などの説明を受けて、受付会場を後にしました。

受付を済ませたら、今日すべき事は20km離れた宿泊先に辿り着くだけです。

アスターホテル前の海岸から新城郷へと続くサイクリングロード伝いに、みかんさんと自走で太魯閣峡谷を目指します。

途中で雨雲から逃げ切れずに集中豪雨を浴びたり、Garminの電池が切れて迷子になりかけたりしながら、ゆるゆると走って1時間ほどで到着しました。



到着時にはズブ濡れで、真っ先に行った事は雨で濡れた自転車の水抜きと、明日着るべきサイクルウェアの洗濯でした。

実はこの大雨がブリーフィングに出たくなかった最大の理由だったのです。

花蓮の天気は午後から降水確率100%の予報で、夜になっても雷が時折、暗闇を照らすほど荒れに荒れていました。

自転車の洗濯とウェアの洗濯を済ませて、明日の大会に持ち出すカメラの選定をしていたところ、みかんさんが部屋に訪れてきます。

曰く「ホイールが振れまくってたけど、明日のレース大丈夫?」。

ホイールが振れてる?レース?

実は私たちがエントリーした MAXXIS TAROKO INTL HILL CLIMB は、ファンライドではなくヒルクライムレースだったのです。

もともと大会に興味を持っていたのは みかんさん の方で、私は主に宿泊先や移動手段ばかりを調べていたので、大会の概要をまるで把握していませんでした。

ホイールの方は花蓮から新城郷への移動中にぶつけた時か、横方向に5mmは振れて左右にフラつき、回すと縦にも歪んで上下に跳ねるのが一目瞭然でした。

当初は何の問題もなかったため、ニップル回しも花蓮にいるスタッフに預けてきてしまい、既に現地に移動してきた私たちには手の施しようもありません。

最後の最後に不安な気持ちを抱えたまま、雷光に照らされる夜空を眺めているうちに眠りに落ちました。

大会当日に続く

関連記事:

MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 台北から花蓮へ バス・鉄道輪行


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


MAXXIS TAROKO INTERNATIONAL HILL CLIMBに参加するために花蓮を訪れました。

花蓮には空港もあるので、台湾観光にそれほど興味がない場合、台北(桃園空港)で国内線に乗り換えて飛行機で行く事が最も確実で 輪行による ストレスがありません。

みかんさんと私は台湾の東海岸を見て回りたかったので、それぞれ、福岡と成田から台北までは飛行機、台湾国内は鉄道で移動する事に決めました。

台湾では規定に従う事により鉄道で自転車を運ぶ事(輪行)ができます*。

公式の時刻表で車種と車両番号を確認し、予約サイトを通して事前にチケットを購入する事も可能です。

私は19時前後に台北駅を出発する區間快に乗ろうと考えていたのですが、原因不明の理由で飛行機が遅れた為、乗ろうとしていた車両に乗れなくなってしまいました。

大雨で鉄道に遅れが生じていた山口のみかんさんが無事に到着し、快晴とはいかないまでも降雨も強風もなかった東京の私の方が遅れたのは皮肉と言うより他にありません。




成田から台北に到着した際の時刻は、およそ午後6時前後。

急いで台北駅に向えば、乗ろうとしていた花蓮行きの列車に間に合うかという微妙な時間です。

高速バスのチケットカウンターに走って向かい、チケットを購入してバスに乗り込もうとしたところ、自転車用のチケットが必要だと止められます。


2017年5月 追記:MRT 桃園捷運機場線の開通により、現在では空港から台北まで鉄路で移動可能になりました。


カウンターに向かう列に並び直して順番を待ち、荷物用の半券をくれと言うも、全く理解されずに年齢を問われます。

困った事にチケットカウンターでは英語が通じません。

どうも「半券が使えるのは65歳以上から」と言いたいようですが、私が乗車するのに使うのではなく、荷物を乗せるのに必要なのだと言っても理解されず、先ほど購入したチケットを見せて、強引に65ドルを差し出して半券を貰いました。

無事にバスに乗れたものの、車内のエアコンが強すぎて気分が悪くなりそうでした。

インドネシアやベトナムもそうですが、南国の台湾では到着して飛行機を降りた瞬間に、カメラのレンズが曇るほどの蒸気と熱気が体中にまとわりつきます。

前者と異なるのは、台湾では何処に行ってもエアコンがあり、設定もかなり強めになっている事が多いことです。

屋外用の半袖と室内用の長袖の両方を用意していくと両方に対応できますが、今回は荷物が多いので長袖は持ってきていません。

どうにか台北駅に到着すると、今度は鉄道のチケットカウンターに並ぶ長蛇の列に悩まされます。

今すぐチケットを購入してプラットフォームに移動すれば、何とか予定の電車に間に合いそうですが、列は一向に進む気配がありません。

私がチケットカウンターで足止めを食らっている間に、非情にも列車は定刻通りに台北駅を出発して行きました。

発車を伝えるランプが点滅して、時刻表から目的の車両の名前が消えます。


その後、ただただ25分近く順番を待ち続け、ようやく順番が来た際には、やや諦念の気持ちを抱きながら、カウンターで花蓮に行きたい旨を伝えます。

事前に調べた情報通りだとすると、台湾の鉄道では自転車を輪行できる車両は決まっていて、自転車を乗せられるという専用のマークが付きます。

時刻表にも時間や車両番号と一緒に輪行マークが表示されます。

そのマーク付きの車両を逃した私は、既に切符を購入後に自転車を荷物として郵送する覚悟を決めていました。

窓口に着いて「花蓮へ行きたい」と伝えます。発行された切符には、普悠瑪自強號という台鉄在来線で最速の急行列車2つ(普悠瑪號と自強號)の名前を合わせた 厨二病感が溢れる 車種名が刻まれています。

これらの急行列車は最速で目的地に到達する反面、輪行に対しては最も厳格なルールが適用される車種なのです。


当然ながら自転車は載せられないものと考えていたところ、意外にも駅員は「規定内のサイズであれば、車内に持ち込んで構わない」と言います。

台鉄が定める輪行袋の最大サイズが 200cm(3辺の和・ただし最大の辺の長さは150cm)という事前知識を持っていた為、中身を出して普通の輪行袋に入れ替えれば何とかなるという希望が湧きましたが、現実は私の想像の上を行きます。

なんと私が使用している ACOR BIKE PORTER スマートサイズ であれば、輪行袋に包まれた自転車の区分ではなく、ただの荷物として扱っているとの事。

チケットカウンター横のサービスカウンターにてメジャーで寸法を測定した結果、規定サイズに収まるという事で、自転車を抱えたまま、難なく乗車できる事になりました。

1cm単位でサイズをしっかりと計測する鉄道会社とバイクポーターの取り回しの良さに、1度に2回も驚かされた事は言うまでもありません。

無事に乗り込めた普悠瑪(自強)號は、小さな新幹線という趣きの快適な車両でした。


車両にはスーツケースなど大型の荷物置き場がありましたので、バイクポーターはそちらに収納する事に決めました。

2時間ほどの快適な旅を続けた後、花蓮に到着した私は徒歩でホテルを目指し、無事にみかんさんと合流を果たします。

既に時刻は23時半を回り、街中の街灯も消えていましたが、ホテル近くのセブンイレブンが営業していた事は幸いでした。

まとめ

  • 一般人には英語が通じません。話せる人に当たれば運が良いぐらいに思っていた方が無難です。
  • 屋外用の半袖・短パンと室内・車内用の長袖の上着の2種類があった方が良いです。
  • バイクポーター・スマートサイズは普悠瑪(自強)號に乗せられました。
  • 台北から花蓮に行く列車は意外と多くあります。

続く
* 一部の電車では持ち込みが制限、禁止されている事があります。

関連記事:

Contact Us