輪行嫌いが選ぶ輪行袋

ガイジンやキコクシジョという腫れ物扱いを受けるほどに日本社会に馴染めない私ですが、普段の生活の中で最も苦手なものが日本の鉄道です。

やかましい自動音声を延々と流しながら携帯電話での通話だけは禁止などの理解不能な規則をたくさん設けているので、乗るたびに神経を擦り減らして疲れます。

東京の中心部に近いところに住んでいるのも、鉄道と関わらずに日々の生活を完結できるようにする為です。

ただでさえ鉄道が嫌いな事に加えて、輪行袋というアイデアも好きではありません。

ロードバイクは輪行袋に収納して持ち歩くことを考慮して設計されている訳ではなく、自動改札の存在、狭いプラットフォーム、都市間交通での満員電車の常態化などが暗示しているように、日本の鉄道もまた輪行をする事を前提としていません。

駅や列車が空いている場合に限り、専用の輪行袋に収納するという条件で、自転車の鉄道輸送もできるという取り決めは、乗客 (自転車乗り) にとっても鉄道会社にとっても互いに無理をして妥協しているような印象を受けます。

仮に問題が生じたとしたら、また新しい規則が増えて輪行も制限を受けるかもしれません。私が輪行を行う場合、ほとんどが飛行機と高速バスで、稀に鉄路を利用する際は、始発列車に始発駅から乗ることを意識しているのは、こうした理由からです。




そんな私が輪行袋に対して求める要件は3つあります。

1点目は鉄道会社などの輪行規則に合致するものであること。2点目は他の乗客の迷惑にならないように自転車をなるべく小さく収納できるものであること。3点目は存在自体が本来は不要なものである分、走行中に邪魔にならないことです。

愛用しているOSTRICH ロード220は、1点目と2点目は完璧に満たしてくれる優秀な輪行袋ですが、リアディレイラを保護するエンド金具が必要となる為、どうしても大きくて嵩張ります。

本体のみ・ケースと紐とエンド金具は含まず

飛行機 高速バス輪行など、自分の手元から離さなければならない時には頼もしいのですが、ボトルホルダー1つを占有してしまう大きさと重さは常時携帯しておくのには適していません。

そうした理由から、使用するのは専ら遠距離輪行の用途に対してです。

大抵の場合は輪行先の駅やホテルに到着した直後に荷物として預けてしまいます。

同じ機能を持つ輪行袋の中で、最小または最軽量であるかどうかは私の知識を超えるところですが、必要な機能を満たしながら、目的の用途に対しては十分に軽量で、入手性も良いので満足しています。

エンド金具を用いる本格的な輪行を行わない場合、例えば自走で200km以上も走って丹沢や山梨などの遠方の山岳地帯に赴く際の非常用の携帯輪行袋としては、同じくOSTRICH の SL-100を使用しています。
ケースに入れたままサドルに巻き付けられる上に、輪行袋の中でも最小、最軽量の一つと言えるほど携帯性が良いので、常時携帯していてもライドの邪魔をしません。

それだけでも素晴らしいのですが、この輪行袋の優れた点はこの大きさと重さを実現しながら、自転車を完全に収納できる事です。

私はエンド金具を携帯しませんので縦置きする事はできませんが、肩紐を付けて手で持ち続けさえすれば、私が輪行袋に求める全ての条件を満たします。

私は移動距離が2時間ぐらいなら列車に乗っても座席に座りませんし、いざとなったら横置きもできますので何の問題もありません。

まあ、にわか雨の際に一度 (徒歩で) 使用したきりで、まだ輪行で使用しなければならない事態に陥った事はないのですが・・・

本体のみ・ケースと紐は含まず

ケースのみ・本体と紐は含まず

本体と (一体型) ケースのみ・紐は含まず

輪行で使用する事は稀ですが、輪行袋にホイールバッグを組み合わせることもない訳ではありません。

どちらかと言うと自家用車で用いる事の方が多いのですが、フレームの塗装に傷が付いたり、タイヤに付着した泥やスプロケットの油で車内が汚れたりする事を気にしなくても良くなります。

頑張ればサイクリングジャージの背中ポケットに収まる大きさまで折り畳めなくはないので、フレームサイズが小さく、別の輪行袋と組み合わせても規定の大きさに収まるのであれば輪行で使用しても良いかもしれません。

ただし、運搬時の落下対策だけは必要です。

私はジャージの背中ポケットに入れていて落とした事があります。

TIOGA ホイールバッグ 1本用


TIOGA ホイールバッグ 2本用

工夫を凝らされた輪行袋そのものはとても良いアイテムですが、輪行袋というアイデアが好きではないという意見は変わる事はありません。

運搬時の合理性や (ハードケースではなく薄い生地の) 輪行袋に収納する必然性がある訳ではなく、ただ設けられた規則を守るために存在するものだからです。

そうであればこそ、良い輪行袋とは規則に合致しながら、運搬時にも邪魔にならないものだと私は考えます。

市場には他にも良い輪行袋がたくさんあるでしょうし、自転車に対する保護機能こそが最重要などといった意見も否定しませんが、状況に応じて必要最低限の軽量な輪行袋を使い分ける方法が、私にとっては最もストレスが少ないです。

ローラー台に達成感を得る

立て続けの海外出張を終えて帰宅したので、久し振りに趣味の自転車に乗れるようになりました。

スーツケースを引っ繰り返して中身を洗濯機に放り込み、植木に水をやったら、何よりも先に3本ローラー上で自転車に跨ります。

一般的には「つまらない」という評価を下されがちなローラー台ですが、私はある時期からローラー練習に達成感を得るようになり、時間があったら積極的にローラーを回すようになりました。

私の居住地である東京の四谷や麹町付近の道路環境が劣悪な (路上駐車、信号停止、悪質な運転手、そして何よりも事故が多過ぎる) 為にローラー台の方が快適であるという事情もありますが、目標をうまく設定してやると単調でしかないはずのローラー練習を楽しみに変わります。

それはもう他の事を差し置いて真っ先にローラー台に向かうほどに。




実際にやっている事は「時速40km/hを切らないペースで1時間は回し続ける」などといった具体的で、小さく、実現可能な目標を練習毎に設けて、それを達成できるかどうかというゲームを自分自身に課しているだけです。

1時間という練習時間は、都民の森を単独走行で安定して60分切りしたいという私の個人的な都合による設定なので、特に普遍性がある訳ではありません。

都民の森を想定しているのも、峠の中ではまだ自走で行きやすくて、走り慣れているからに過ぎません ※。

時速40km/hという条件も、ケイデンスやペダリングを重視している人から見るとギアを重く設定しすぎと思われるかもしれませんが、私にとっては継続するために必要な速度です。

ローラー台でも5,000km以上も回していると、35km/h未満の速度では走行距離が伸びないので (それ自体は速く走るための練習としてはより効果的であったとしても) 私は性格的に達成感を得られないという事に気づきます。

具体的な目標を達成する事で充実感を得て、ローラー練習を継続する為には、私にとって走行距離は欠かす事のできない要素であり、時間的な制約を考えると時速40km/hという速さが必要となるのです。


MINOURA(ミノウラ) MOZ-ROLLER 3本ローラー チタンカラー

最近では単に決めた距離や時間を決めた速度で回すだけでなく、ダンシングを継続しながらバイクを左右にブレさせないという目標達成に熱中しています。

私のようにペダリングが汚かったり、左右のバランスが悪かったりすると、ローラー台上でダンシングする際に前輪が左右に跳ねたり、後輪がローラーの上に乗り上げたりします。

そうなるとバイクが転倒して落車する危険性がありますので、ダンシングを続ける為にはバイクがブレないように安定させなければなりません。

登坂中に推力にならない余分な動作を避け、バイクを安定させて真っ直ぐに進ませる必要性を感じて取り入れた内容ですが、集中力が必要で達成時の充実感も大きいために新しい目標としても申し分ありません。

こんな練習内容ですので、タブレット端末で映画を見ながら優雅にという訳にはいきません。
私のローラー台の友はiPodとオーディオブックのみです。

一応は Amazon Prime 会員なので激しく動かない時は映画を見ても良いのですが、手元を眺めながら走るのが苦手なことに加えて、日本語リスニング能力が低く、大音量のローラー練習中に台詞を聞き逃して内容を理解できなくなる私は、ローラー台の上で映画を楽しむ事など能力的に不可能。

しかし、目で見るより耳で聞いた方が理解が早い体質なので、オーディオブックならローラー練習に集中していても自然と頭に入ってきます。

そこで活躍するのが iPod です。

防水性では一部の Android 端末に劣る iPod ですが、再生順序が変わると内容が意味不明になるオーディオブックにおいては iTunes/iPod のような使いやすく高機能なプレイリストが必須になります。

何故ならばオーディオブックにおいては、CD1枚に収まる容量のものは簡易版などのほんの一部。大体が複数のディスクに分けられているので、それらを再生時に一つにまとめて正しい再生順にソートしてやらなければならないからです。

高強度で1時間ぐらい回すだけならば必要ありませんが、それ以上の時間を継続して回し続けようとするならば、なくてはならないローラー練習の友と言えます。

その他、顔から滴り落ちる汗を受け止めるサイクルキャップ、火照る体を冷却する扇風機、1時間以上に渡る練習で必要となるドリンクボトルなどがあると、憂いなくローラー練習に集中できるようになります。


※ 私にとって最寄りの峠は約65km離れた八王子の和田峠ですが、これは 最近飽きてきた 登坂距離が約3kmと短く、道幅が狭小で、登坂時間が車やバイクと擦れ違った回数に直に影響を受けますので、目標としては適切とは思えません。

和田峠ぐらいの移動の手間 (我慢して市街地を走らなければならない移動時間) なら、直接、通った方が良いという意味でも目標に設定する意味が希薄です。

ネットに上がってこないハノイの話

私の友人のベトナム人の多くは学生期を海外で過ごしたハノイやサイゴン出身の元留学生です。

西ヨーロッパや日本に留学できるような環境で育ち、複数の外国語を理解し、工学や医学の専門分野で活躍している研究職や専門職、経営者ばかりなので、大多数のベトナム人とは感覚が異なるかもしれません。

それでも彼等と話していると開発と同時に押し寄せるインフレーションの影響を感じない事はありません。

物価と人件費の高騰、急速な都市化、フォーとビールとスパゲティの不思議な食生活、SNS利用頻度の高さ、日本の存在感、良好な対米感情、中国への対抗意識、若年層の自国の歴史への関心の薄さ、郵便への不信感、フットボール一辺倒からテニスや水泳まで拡がりつつある流行スポーツなど、観光から視線を逸らしてベトナム人の生活を眺めていると意外性に満ちていて驚きます。




先入観や事前情報が役に立たないのは、情報源に誤りがあるか、あるいは最新の情報が記されていない事が多いからかも知れません。

3年振りに訪れた私にも容易に気がつくほどにベトナム、特に都市部の生活環境は変化が激しく、古い情報は参考にもなりません。

例えば、少し前まではハノイの空港から市街地までのタクシーは「定額制のエアポートタクシー」を利用するのが地元民の定石でしたが、最近では割安の「エアポートタクシー」でも「メーター制」のものしか見当たりません。

過去のように「空港から中心市街地まで250k đồngで」という訳にもなかなか行きません。

3年前と比較しても道幅の広い高規格な道路や車の台数自体は増えたのに、それに伴って料金も上がってしまって使いづらくなってしまったのは皮肉という他にありません。

ハノイではこうした感想を抱く事が良くあります。

ベトナム人の中には同年代の大多数の日本人よりも収入の多い専門職の数も少しづつ増えて来ましたが、土地や家の価格も急騰してしまい、夫婦共働きで100年間も働き続けなければ、とても住居を購入できないなんていう愚痴を耳にする事もあります。

しかし、彼等が目的もなく自国通貨で貯金を行う事は稀です。激しいインフレーションにより、現金のままで持っているだけで資産が目減りしてしまう為です。

その一方で、土地が豊かなために農産物の価格は低く抑えられたままであり、外国人ながら収入格差を考えると不安な気持ちになります。



実際には農村では自給自足が成立しているため、貨幣を必要としないところでは生活は悪くないようです。

郊外の農村を訪れると未舗装の道に村の境界となる門、中心となる寺院、路肩のすぐ隣に居間を設ける伝統的な家屋、放し飼いにされて走り回っている家畜など、自動二輪車だらけの市街地よりも面白いものが見れます。

こうした農村も住宅企業が目を付けたところから、道幅が広くて真っ直ぐな舗装路が敷かれて都市化されて行きます。

農地だったようなところは良いのですが、人が密集している居住地では古くからの門や城壁を撤去して、道幅を拡幅するようなところもあり残念でなりません。

しかし、居住者たちは利便性が向上する事を単純に歓迎しているように見えます。数年後や数十年後は評価が変わっているかも知れませんが、私が訪ねた限りでは反対意見に出会う事はありませんでした。

郊外の道路を整備しているのが企業なら、橋や空港などのインフラを整えているのは日本です。

現地を訪れていると「日本が作ってくれた」と耳にする事もあり、どう思われているのかが分かります。

日本と言えば、若年層の大好きなドラえもんの国であり、インフラを整備してくれる友邦であり、留学先の筆頭候補にして、オフショア開発のお得意様といった印象を持たれているようです。
Đông Duなどの歴史的な交流に触れた意見に出会ったことのない事に、西ヨーロッパ人との文化的な違いを感じます。

そもそもハノイの人は自国の歴史にあまり関心がないように見えます。

観光地の Huế は訪れても、市内の歴史的な記念碑の前でベトナム人の姿を目にする事は稀です。その場を訪れているのは私と観光中のアメリカ人だけなどという事も一度ならずあります。



史上では最近の出来事に含まれるベトナム戦争でさえ、記憶があるのは現役世代の親かその上の世代までで、若年層との価値観、職業、食生活は世代間に断絶と呼べるほど大きな違いがあります。

友人の親世代ではトマトソースが苦手で、観光で日本を訪れても口に合うのは中華料理ぐらいで苦労していましたが、その友人に案内されたハノイで流行りのピザレストランに行くと、テーブルにはベトナム人しかいないという中心部では珍しい光景を目にします (Hoan Kiem の一部のベトナムレストランには外国人しかいないのと対照的です)。

日本からの大勢の観光客がどこに行って何を見ているのかは私には分かりませんが、巷のベトナム人評を聞いていると、正確な知識ではなく、的外れな印象だけで語られているなと感じる事が頻繁にあります。

学生時からルームシェアで彼等と同居して暮らしている者の視点から眺めていると、実際はそんな事もないよなぁと思うと同時に、彼等の逞しさと野心、生活の大変さも垣間見えて複雑な気分になります。

ベトナム人の生活に触れてみると、なるほどと関心する事から、どうしてそうなるのと理解が追いつかない事まで、意外性に満ちていて興味深いものです。

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