ネットに上がってこないハノイの話

私の友人のベトナム人の多くは学生期を海外で過ごしたハノイやサイゴン出身の元留学生です。

西ヨーロッパや日本に留学できるような環境で育ち、複数の外国語を理解し、工学や医学の専門分野で活躍している研究職や専門職、経営者ばかりなので、大多数のベトナム人とは感覚が異なるかもしれません。

それでも彼等と話していると開発と同時に押し寄せるインフレーションの影響を感じない事はありません。

物価と人件費の高騰、急速な都市化、フォーとビールとスパゲティの不思議な食生活、SNS利用頻度の高さ、日本の存在感、良好な対米感情、中国への対抗意識、若年層の自国の歴史への関心の薄さ、郵便への不信感、フットボール一辺倒からテニスや水泳まで拡がりつつある流行スポーツなど、観光から視線を逸らしてベトナム人の生活を眺めていると意外性に満ちていて驚きます。




先入観や事前情報が役に立たないのは、情報源に誤りがあるか、あるいは最新の情報が記されていない事が多いからかも知れません。

3年振りに訪れた私にも容易に気がつくほどにベトナム、特に都市部の生活環境は変化が激しく、古い情報は参考にもなりません。

例えば、少し前まではハノイの空港から市街地までのタクシーは「定額制のエアポートタクシー」を利用するのが地元民の定石でしたが、最近では割安の「エアポートタクシー」でも「メーター制」のものしか見当たりません。

過去のように「空港から中心市街地まで250k đồngで」という訳にもなかなか行きません。

3年前と比較しても道幅の広い高規格な道路や車の台数自体は増えたのに、それに伴って料金も上がってしまって使いづらくなってしまったのは皮肉という他にありません。

ハノイではこうした感想を抱く事が良くあります。

ベトナム人の中には同年代の大多数の日本人よりも収入の多い専門職の数も少しづつ増えて来ましたが、土地や家の価格も急騰してしまい、夫婦共働きで100年間も働き続けなければ、とても住居を購入できないなんていう愚痴を耳にする事もあります。

しかし、彼等が目的もなく自国通貨で貯金を行う事は稀です。激しいインフレーションにより、現金のままで持っているだけで資産が目減りしてしまう為です。

その一方で、土地が豊かなために農産物の価格は低く抑えられたままであり、外国人ながら収入格差を考えると不安な気持ちになります。



実際には農村では自給自足が成立しているため、貨幣を必要としないところでは生活は悪くないようです。

郊外の農村を訪れると未舗装の道に村の境界となる門、中心となる寺院、路肩のすぐ隣に居間を設ける伝統的な家屋、放し飼いにされて走り回っている家畜など、自動二輪車だらけの市街地よりも面白いものが見れます。

こうした農村も住宅企業が目を付けたところから、道幅が広くて真っ直ぐな舗装路が敷かれて都市化されて行きます。

農地だったようなところは良いのですが、人が密集している居住地では古くからの門や城壁を撤去して、道幅を拡幅するようなところもあり残念でなりません。

しかし、居住者たちは利便性が向上する事を単純に歓迎しているように見えます。数年後や数十年後は評価が変わっているかも知れませんが、私が訪ねた限りでは反対意見に出会う事はありませんでした。

郊外の道路を整備しているのが企業なら、橋や空港などのインフラを整えているのは日本です。

現地を訪れていると「日本が作ってくれた」と耳にする事もあり、どう思われているのかが分かります。

日本と言えば、若年層の大好きなドラえもんの国であり、インフラを整備してくれる友邦であり、留学先の筆頭候補にして、オフショア開発のお得意様といった印象を持たれているようです。
Đông Duなどの歴史的な交流に触れた意見に出会ったことのない事に、西ヨーロッパ人との文化的な違いを感じます。

そもそもハノイの人は自国の歴史にあまり関心がないように見えます。

観光地の Huế は訪れても、市内の歴史的な記念碑の前でベトナム人の姿を目にする事は稀です。その場を訪れているのは私と観光中のアメリカ人だけなどという事も一度ならずあります。



史上では最近の出来事に含まれるベトナム戦争でさえ、記憶があるのは現役世代の親かその上の世代までで、若年層との価値観、職業、食生活は世代間に断絶と呼べるほど大きな違いがあります。

友人の親世代ではトマトソースが苦手で、観光で日本を訪れても口に合うのは中華料理ぐらいで苦労していましたが、その友人に案内されたハノイで流行りのピザレストランに行くと、テーブルにはベトナム人しかいないという中心部では珍しい光景を目にします (Hoan Kiem の一部のベトナムレストランには外国人しかいないのと対照的です)。

日本からの大勢の観光客がどこに行って何を見ているのかは私には分かりませんが、巷のベトナム人評を聞いていると、正確な知識ではなく、的外れな印象だけで語られているなと感じる事が頻繁にあります。

学生時からルームシェアで彼等と同居して暮らしている者の視点から眺めていると、実際はそんな事もないよなぁと思うと同時に、彼等の逞しさと野心、生活の大変さも垣間見えて複雑な気分になります。

ベトナム人の生活に触れてみると、なるほどと関心する事から、どうしてそうなるのと理解が追いつかない事まで、意外性に満ちていて興味深いものです。

南国の夜は暑く妖しく

今年に入って6回目だか7回目の海外出張で、今度はベトナムに来ています。

私がベトナムを訪れるのは3年ぶりの2回目で、前回は友人の実家である大理石の豪邸に泊まりましたが、今回は Hoan Kiem の一流ホテルに泊まります。

ベトナムでホテルに泊まるのは実はこれが初めて。元より海外育ちだった事に加えて、工学系大学(院)生特有の学会発表生活で訪れた国の数は30前後になりますが、指定された場合を除いては友人の家に招かれてばかりなので、ホテルや観光事情には疎いのが私です。

観光事情に疎い事に加えて、新鮮さを欠いた2度目の訪問に、湿気を多分に含んだ南国特有の白い空、散策意欲を減退させる籠もるような熱気に、目的地も味気のない高層ビルだらけの新興業務地区という具合に、今回の出張は撮影趣味の面からは極端に期待度が薄いものでした。




至るところで見かける街路樹のバナナに、建物を超える高さの巨木、巨木群に埋もれて樹木と一体化した旧市街を彷徨うのは別世界に来たように楽しいのですが、写真に写せる範囲で景色を切り取ると何処の地区も同じ場所に見えてしまいます。

写真を撮る為に100kmも離れた山に登るような私でも、代わり映えしない光景と服の内側に籠もるような強烈な熱気に包まれていると、散策を切り上げても良いかなという気分になります。




ところが、そんな白と緑のハノイの光景も夜になると一変します。

自然と人工物とが融合した Hundertwasser の世界のような街並みが妖しく彩られ、昼間とはまるで別の場所に来たような感覚に陥ります。

服の内に籠もる熱気も失せて、30度ぐらいの気温の暖かさが心地よく感じられます。



思えば、容赦のない強烈な日差しやむせ上がるほどの熱気、突然の激しいスコールといったベトナムの気候の厳しさばかりを見てきた私にとって、その穏やかな面に触れたのは初めてかもしれません。

川越はサイクリングロード至近の観光地

自転車で気持ちよく走ることを意識していると、自然と車や人通りの多いところを避けて、ダムや峠のあるところを目指すようになります。

危険な追い越しや急停止の回数をなるべく減らして、快適に走り続ける事がそもそもの目的ですが、山間部の綺麗な水や空気、非日常的な緑と青の景色、ヒルクライムの達成感を知ってしまうと、次第に山の中を走り抜ける事が病みつきになってしまいます。

反対に最も目的地として縁がなくなっていくのが (山間部の避暑地や温泉街を除いた) 観光地です。

唯でさえ人が多く集まる上に、(地形的な理由や旧い街並みを保全しているために) 一般的に道が狭小で、駐車場から溢れ出た自家用車の渋滞が常態化しているところも少なくありません。

東京都内の市街地と同様に、真っ先に走行経路から除外したくなるところがほとんどです。

そんな観光地、しかも道の入り組んだ城下町でありながら、例外的に自転車でも行きやすい場所が小江戸の愛称で知られる川越です。

行きやすいどころか、サイクリングロードを走っている間に自然に到着してしまうのですから驚きです。



荒川サイクリングロードを北上し、大宮付近の河岸工事を避けて左岸から右岸に渡ると、いつの間にか入間川サイクリングロードに迷い込んでしまうものです。

その入間川サイクリングロードの入り口に立って、周辺の案内図を確認すると2つの事に気がつきます。

1つは知らないうちに川越市に既に到達している事、そして、もう1つは川越の伝統的建造物群保存地区の近くまでサ
イクリングロードを経由して辿り着ける事です。

荒川と入間川の分岐点辺りは歩行者も自転車も通行人は疎らなので、上述のような危険と混雑を避ける目的で通行を忌避する必要性もありません。

せっかく辿り着いたのであれば、機会を利用して川越の街を訪れて見るのも一興です。


サイクリングロードで市街地の端まで近づいたら、自転車を降りて押し歩きで街中へと入ります。

街中に入って直ぐに気がつくのは、伝統的な木造と近代 (≠現代) 建築の入り混じる独特の景観です。

京都よりも会津若松を彷彿とさせますが、その面積も密度も立派です。

歯抜けのように駐車場に変わる事ない様から、街自体を保全しようと努めている川越市民の不断の努力が伝わってくるようです。

有名な観光地でも、寺社の門前町を除いて普通の市街地となってしまっているところも多いので、市街地そのものが往時のままに保全されている事に新鮮な驚きを感じます。




メインストリートと思わしき通り (大正浪漫夢通り) を南から北に抜けると仲町観光案内所が見えてきます。

どうやら保存地区、ヨーロッパで言うところの旧市街の中心地は、さらにその先にあるようです。


北に進んで到着した木造建築の密集する商店街で河越抹茶のジェラートを頂きます。

伊藤園のペットボトル『狭山茶』から得た知識なのですが、狭山茶の栽培が盛んになったのは川越藩に由来するらしく、茶も立派な川越の特産品であるようです。

この人通りの多い商店街ですが、残念ながら歩行者と同様に車の通りが多く、保存地区であるためか歩道もほとんどありません。

こういうところこそ、月に数回、週末の昼間だけでも良いので、車両進入禁止の歩行者天国とした方が良いと思われるのですが、実現していないところを見ると、それによる不都合の方が大きいのかもしれません。

初めて訪れた川越ですが、質も量も想像以上で散歩するのに楽しいところでした。

クロスバイクでも都内から十分に往復できる距離なので、自転車で訪れて駐輪場を利用し、博物館や商店街をじっくりと見物してまわるのも良いかもしれません。