もう一つの阿里山・大華公路は自行車の表街道


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


嘉義から阿里山に向かう道路には、阿里山公路 (台18線) と大華公路 (縣道159甲線) の2つがあります。

前述の通り、阿里山公路は高規格で自動車の交通量が多く、日陰がほとんど存在しない為に熱射病の危険性の絶えない道でした。

同時に観光客向けの飲食店などの補給地点も多く、景色も雄大、道の舗装状態は良く、急勾配も存在しないなど、自転車で走行するのに良い点もありました。

嘉義市の中心部から阿里山駅前まで到達して、来た道をそのまま引き返すと走行距離は約148km、獲得標高は2,500mを上回ります。

自転車で到達できる範囲内で最奥部に位置する阿里山駅の標高は2,200m付近ですが、途中でアップダウンがありますので、休みなく登り続けるという訳ではありません。

では、もう一方の大華公路は… 気になるので走りに行きましょう。

大華公路という愛称で呼ばれる縣道159甲線は、嘉義市内では『民族路』と呼ばれ、市街地のメインストリートの1つを形成しています。

嘉義駅の東口で縣道159線と分離したまま、繁華街を一直線に貫いて東進を続け、嘉義市から約50km離れた阿里山の山中、標高1,300m付近の石桌の集落で阿里山公路に合流します。




この民族路 (嘉義市内での名称) 、見ての通りの繁華街なのですが、市街地の弥陀路を超えた辺りから既に斜度4%の登り坂が出てくるので侮れません。

交通量はさすがに多いものの、2本の白線に挟まれた区間が自動二輪車・自転車専用の通行帯となっているので、信号停止を除けば走りにくいという程でもありません。



暑さは相変わらずです。

日昇前の午前5時でも気温は25度を下回る事はなく、日照時間になると途端に30度を軽く超えます。

そんな状況でも台湾の自転車乗りは元気に走り回っています。

昨日の阿里山公路ではロードバイク1台、マウンテンバイク3台から成る集団1つとしか擦れ違いませんでしたが、こちらでは阿里山の麓に辿り着く前から10台以上のロードバイクと擦れ違います。

余りに数が多過ぎるので途中から数えるのを辞めました。

もしかしたら、自転車で阿里山に向かう場合、こちらの大華公路の方が一般的なのかも知れません (自転車で阿里山に登る事が一般的なのかどうかはともかく)。

台湾での自転車の呼称に因んで、自行車での表街道と個人的に呼びたいと思います。

そんな表街道にも大きな陥穽が存在します。

山道が始まる前の平地から既にコンビニや飲食店などの補給地点が乏しく、気が付いたら登りが始まります。

今日も早朝から外気温は30度を超えていますので洒落にも冗談にもなりません。

補給が足りなくて困ったところで、一つの妙案が思い浮かびました。


飲料水がないなら路上販売しているライチを購入すれば良いじゃないという事で、その辺で売られていたライチを束で買います。

冷凍していない生ライチを食べる事自体が初めてですが、飽きるほどライチを食べるのもこれが初めてです。

ライチで不足した水分を補って軽い登りをこなすと、半天岩紫雲寺が見えて来ます。

嘉義市からの距離は約20km。標高は約400m。

そして、大華公路では本当に最初で最後の補給地点です。

以降は約27km離れた石桌 (標高1,300m付近) まで補給地点はありません。

道中には個人商店やホテルらしきものはあるのですが、シャッターが閉まっていて営業している形跡がありません。



そんな半天岩の紫雲寺を超えると道路は本格的な山道へと豹変します。

大型のバスが通行するのはここまでで、以降は自転車と自家用車ばかりでとても平和です。

斜度は6%前後、外気温は30度を超えていますが、日陰が多いので阿里山公路の様に直ちに熱射病の危険が迫るという事はありません。

バスの通らない安全な林道、日陰、静寂、ここには阿里山公路で望んでも叶わなかった全てがあります。

ただし、補給地点と絶景、きれいな路面だけはありません。



景色そのものは悪いという程ではありません。

少なくとも似たような標高の大弛峠と比較しても遥かに良いです。

しかし、前日に展望良好な阿里山公路を見ていると、どうしても彼方側の方が眺めは良かったな (だけど、二度と通りたくはないな) と考えてしまいます。



そして、車両による危険性が少ない分、目についてしまうのが舗装状態と周辺環境です。

雰囲気の良い林道も注意して眺めてみると、複数の異なる場所で崩落や土砂崩れの形跡が散見されます。

これらをもたらした原因が地震であるのか、台風であるのかまでは分かりません。

むしろ、その何方でもなく、豊富な湧水と強烈な直射日光 (熱) による岩盤の劣化が原因となっているのかもしれません。

何にせよ、大雨の後には通らない方が良さそうです。



阿里山公路とのもう一つの違いはアップダウンです。

阿里山公路でも標高1,400mを超えた辺りから何度か下り坂がありましたが、大華公路では標高770mぐらいまで登ってから540mぐらいまで豪快に降って、もう一度、登り返します。

降ってから標高900mぐらいまで登ってくると、奮起湖と石桌への分岐点に至ります。

ここまで来れば、どちらも残りの距離は10kmもありません。

それだけの距離で400mから500mの標高を稼ぐので、もちろん斜度はきつくなります。

奮起湖方面にも行ったので、そちらも機会があれば記述しますが、阿里山公路に至る石桌方面はここから斜度9%ぐらいの坂が頻出するようになり、最大で15.5%の急勾配が出てきます。

交通量も多くなり、反対側から降って来た自転車や自家用車からも「加油」と声を掛けられる機会が増えます。

石桌まで登り切った時の獲得標高は、Garmin計測で1,556mでした。

阿里山駅まで登り切って、帰りも同じ経路を通ったら3,000mに届くかもしれません。

阿里山公路のように分かりやすく熱射病や轢死の可能性が見える訳ではないものの、暑さや長さや斜度が地味に効いてくる厳しい峠道というのが偽らざる感想です。

未だ峠まで到達していないものの、既に大きな峠を登り切ったような達成感があります。

炎熱の阿里山公路ヒルクライム


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


かつて新高山の名で知られた台湾の玉山の近くに阿里山と総称される標高 2,000m 級の山々があります。

台湾における桜の名所、戦前の日本人が敷設した山岳鉄道、樹齢 3,000 年を数える古木群、標高 1,000m 超の山麓に広がる茶畑。

阿里山に抱いていた最初の印象は遥か昔に忘れてしまったものの、いつか訪れてみたいと漠然と思い続けていました。

もちろん、一人で、自転車に乗って。

その阿里山観光の拠点となるのは、KANO (嘉義農林學校) で一躍有名となった嘉義という都市です。台湾最大の平野である嘉南平原に位置する大きな街で台灣高鐵の駅もあります。

嘉義市と阿里山との距離は約70km。

街と山とは阿里山公路 (台18線) と大華公路 (縣道159甲線) という2つの街道で結ばれており、この2つの道路の間も毛細血管のように入り組んだ無数の山道で何となく繋がっています。

言うまでもなく両方を登るのですが、前知識もないので今回は無難に阿里山公路を往きます。

大華公路についてはこちら




嘉義の市街地を抜けて台18線に入り、頂六の集落を超えると、開放的な光景が広がります。

どこまでも真っ直ぐな信号のない道路の先に見渡す限りに台湾中央山脈が広がっています。

ここまでは登りはありませんが、阿里山まで56kmの表示が見えます。


晴れ渡る青空のもと、外気温は30度をゆうに超え、早くも水分補給が心配になります。

幸いにも登り坂の入り口にファミリーマートがありますので、ここで水分と補給食を調達する事が可能です。

ファミリーマートを過ぎれば、いよいよ登り坂の始まりです。

大きく右に曲がった道路がトンネルを抜けて左に曲がり、ファミリーマートの上へと伸びます。

この時点で気がついた事は2つ。

1つは登坂車線に日陰が一切なく、早朝から外気温30度を超える亜熱帯の気候と湿度、強烈な直射日光と相まって熱射病の危険が極めて高いという事。

もう1つは観光客を満載した大型の観光バスが絶え間なく通行する事です。

台湾でも有数の観光地である阿里山には人の出入りが絶えず、車の交通量も少なくありません。

混雑を何よりも嫌う私がそんな観光地を目指す理由は、ただ一つ、補給場所の心配をしなくて良いからに他なりません。

過去に台湾中央山脈を登った経験から、台湾のヒルクライムでは補給食の確保に難儀する事を私は身を以て知っていました。

ただし、阿里山に来て想定外だったのは、日陰の少なさとバスの危険性です。

思えば、私の知っている山道は車一台が何とか通れる古い林道で、日陰となる断崖や樹木、隧道も豊富にありました。

阿里山公路のような片側1車線の高規格道路におけるヒルクライムというのは台湾では初めての体験です。



Garmin計測でも外気温が35度に迫る中、容赦のない南国の直射日光を浴びながら、斜度6%から7%の坂を登っている横を割り込むように大型バスが通行していきます。

白線の外側を走っているのに、ハンドルとの間隔が5cmもない至近距離を大型バスの巨大なタイヤが掠めます。

日本で5年以上も自転車に乗っていて「死ぬ」と思ったことは2回しかありませんが、ここでは1度の登りと降りだけで2回も「死ぬ」と思いました。

暑さや斜度に負けてフラついたら命の保証はありません。

辟易するほど危険ですが、その環境ゆえに却って心は冷静です。


周囲に気を配っているうちに、何となくこの道路は日本人が敷いたのではないか、あるいは日本統治下で建設されたものではないかと思い至ります。

右側車線には直射日光が当たり続けますが、左側では多くの部分で断崖が日陰となって日光を遮ります。しかし、それは同時に曲がり角をブラインドコーナーに変えて、スピードに乗った降坂車線の車両を中央線の外側へと膨らませます。

この道路が仮に左側通行であったとしたら、どんなに安全で走りやすくなる事でしょう。

そう考えているうちに左側通行を想定して設計された道路が、政治的理由で右側通行に変更されたとしか思えなくなりました。

心なしかガスステーションなどの補給地点も道の左側に位置しているものが多いです。

人も車も補給が欲しくなるのは登りなので、元々は左側通行の登坂車線を意図して設置されていた空間に見えます。

斜度8%ぐらいまでの坂なら気にならなくなるほど、手の施しようのない暑さに耐え続けると、公路は標高は1,000m地点を超え、アップダウンを経て、やがて石桌の集落へと至ります。

嘉義の街中から平行し続けて来た阿里山公路と大華公路が合流する地点です。


ここまで直射日光を遮るものがないだけに素晴らしい展望が続きますが、常時、熱射病の危険性を感じるので立ち止まっている余裕はありません。

軽く補給だけを済ませて先を急ぎます。

石桌を過ぎると補給地点はもう十字路の売店と阿里山郷のガスステーションしかありません。

標高は間も無く1,500mを超えます。

この辺りでは野犬の群れに長いトンネル、路面を濡らす滝、中央線を平然と無視してくる対向車などが次々と現れては神経を擦り減らしていきます。

それも過ぎて2,000mに近づいてくると徐々に登坂を妨害する要素も減って漸く安全になってきます。




一方で空には雲が掛かり、高度と相まって気温も徐々に低くなってきました。

標高2,000mを超えるとガスステーションが見え、いよいよ阿里山森林遊楽区へと至ります。

ここまで「激坂」と言い切れるような急勾配は出現しませんでしたが、容赦のない暑さ、50kmに迫る長い登り坂に体力を奪われ、頭は疲労で朦朧状態、指先は水分不足で軽く痙攣しています。

有人ゲートで入場料 300NTD を支払うと自転車に乗ったまま阿里山森林遊楽区には入れますので、記念撮影と情報収集の為に通行料を支払ってゲートを越えます。

ゲートの中には森林鉄道の駅やレストラン、ホテルなどがあり、さながら山のオアシスのような光景です。

道路はここから更に中央山脈の奥へと至り、玉山の側を通って日月潭、そして埔里盆地群を経て武嶺へと続きますが、どうやら自家用車では通行できないようで自転車でも係員に止められてしまいました。

とは言え、私の目的は阿里山を自転車で登ってみる事だったので、ここまで到達できただけで十分に満足です。

私は見知らぬ土地を訪れる際、事前に下調べをするのではなく、その場で興味を持ったものを後から調べます。

訪れてみて気に入ったのであれば、また来れば良いのです。

その時は同じ場所であっても、また違った表情が見られる事を期待しています。

嘉義市の中心部を出発して阿里山駅前まで到達後、来た道をそのまま引き返したところ、走行距離は約148km、獲得標高は2,500mを上回りました。

往路はバスとの接触事故の危険性が絶えませんでしたが、復路は側溝がなかなかに厄介です。

なるべく道路の中心線に寄ったところを走ろうとしますが、降りの途中に出てくるアップダウンの度、後方から多くの車両に追い抜かれます。

さらに困った事には、ブラインドコーナーや路上駐車の死角から、危機意識の不足した作業員が唐突に飛び出してきます。

道路工事か測量、あるいは環境保護のためのかもしれませんが、復路でのみ標高1,500m付近で草刈りが実施されていました。

登りと同じく50kmもある下り坂では、常時、側溝や路上の障害物、中央線を越えてくる対向車に気を遣います。

降り切って嘉義市の街中に辿り着いた時には、走行距離と獲得標高に見合わないほど、心の底から疲れ切りました。

ネットに上がってこないハノイの話

私の友人のベトナム人の多くは学生期を海外で過ごしたハノイやサイゴン出身の元留学生です。

西ヨーロッパや日本に留学できるような環境で育ち、複数の外国語を理解し、工学や医学の専門分野で活躍している研究職や専門職、経営者ばかりなので、大多数のベトナム人とは感覚が異なるかもしれません。

それでも彼等と話していると開発と同時に押し寄せるインフレーションの影響を感じない事はありません。

物価と人件費の高騰、急速な都市化、フォーとビールとスパゲティの不思議な食生活、SNS利用頻度の高さ、日本の存在感、良好な対米感情、中国への対抗意識、若年層の自国の歴史への関心の薄さ、郵便への不信感、フットボール一辺倒からテニスや水泳まで拡がりつつある流行スポーツなど、観光から視線を逸らしてベトナム人の生活を眺めていると意外性に満ちていて驚きます。




先入観や事前情報が役に立たないのは、情報源に誤りがあるか、あるいは最新の情報が記されていない事が多いからかも知れません。

3年振りに訪れた私にも容易に気がつくほどにベトナム、特に都市部の生活環境は変化が激しく、古い情報は参考にもなりません。

例えば、少し前まではハノイの空港から市街地までのタクシーは「定額制のエアポートタクシー」を利用するのが地元民の定石でしたが、最近では割安の「エアポートタクシー」でも「メーター制」のものしか見当たりません。

過去のように「空港から中心市街地まで250k đồngで」という訳にもなかなか行きません。

3年前と比較しても道幅の広い高規格な道路や車の台数自体は増えたのに、それに伴って料金も上がってしまって使いづらくなってしまったのは皮肉という他にありません。

ハノイではこうした感想を抱く事が良くあります。

ベトナム人の中には同年代の大多数の日本人よりも収入の多い専門職の数も少しづつ増えて来ましたが、土地や家の価格も急騰してしまい、夫婦共働きで100年間も働き続けなければ、とても住居を購入できないなんていう愚痴を耳にする事もあります。

しかし、彼等が目的もなく自国通貨で貯金を行う事は稀です。激しいインフレーションにより、現金のままで持っているだけで資産が目減りしてしまう為です。

その一方で、土地が豊かなために農産物の価格は低く抑えられたままであり、外国人ながら収入格差を考えると不安な気持ちになります。



実際には農村では自給自足が成立しているため、貨幣を必要としないところでは生活は悪くないようです。

郊外の農村を訪れると未舗装の道に村の境界となる門、中心となる寺院、路肩のすぐ隣に居間を設ける伝統的な家屋、放し飼いにされて走り回っている家畜など、自動二輪車だらけの市街地よりも面白いものが見れます。

こうした農村も住宅企業が目を付けたところから、道幅が広くて真っ直ぐな舗装路が敷かれて都市化されて行きます。

農地だったようなところは良いのですが、人が密集している居住地では古くからの門や城壁を撤去して、道幅を拡幅するようなところもあり残念でなりません。

しかし、居住者たちは利便性が向上する事を単純に歓迎しているように見えます。数年後や数十年後は評価が変わっているかも知れませんが、私が訪ねた限りでは反対意見に出会う事はありませんでした。

郊外の道路を整備しているのが企業なら、橋や空港などのインフラを整えているのは日本です。

現地を訪れていると「日本が作ってくれた」と耳にする事もあり、どう思われているのかが分かります。

日本と言えば、若年層の大好きなドラえもんの国であり、インフラを整備してくれる友邦であり、留学先の筆頭候補にして、オフショア開発のお得意様といった印象を持たれているようです。
Đông Duなどの歴史的な交流に触れた意見に出会ったことのない事に、西ヨーロッパ人との文化的な違いを感じます。

そもそもハノイの人は自国の歴史にあまり関心がないように見えます。

観光地の Huế は訪れても、市内の歴史的な記念碑の前でベトナム人の姿を目にする事は稀です。その場を訪れているのは私と観光中のアメリカ人だけなどという事も一度ならずあります。



史上では最近の出来事に含まれるベトナム戦争でさえ、記憶があるのは現役世代の親かその上の世代までで、若年層との価値観、職業、食生活は世代間に断絶と呼べるほど大きな違いがあります。

友人の親世代ではトマトソースが苦手で、観光で日本を訪れても口に合うのは中華料理ぐらいで苦労していましたが、その友人に案内されたハノイで流行りのピザレストランに行くと、テーブルにはベトナム人しかいないという中心部では珍しい光景を目にします (Hoan Kiem の一部のベトナムレストランには外国人しかいないのと対照的です)。

日本からの大勢の観光客がどこに行って何を見ているのかは私には分かりませんが、巷のベトナム人評を聞いていると、正確な知識ではなく、的外れな印象だけで語られているなと感じる事が頻繁にあります。

学生時からルームシェアで彼等と同居して暮らしている者の視点から眺めていると、実際はそんな事もないよなぁと思うと同時に、彼等の逞しさと野心、生活の大変さも垣間見えて複雑な気分になります。

ベトナム人の生活に触れてみると、なるほどと関心する事から、どうしてそうなるのと理解が追いつかない事まで、意外性に満ちていて興味深いものです。