しまなみ縦走 2017 参加記録

去年も参加した しまなみ縦走に今年も参加してきました。イベントの趣旨やコース、エイドステーションは去年と変わりませんが、開催期間は去年の3月12日、13日と比較して約2週間ほど遅れた25日、26日となっていることが2017の特徴です。

昨年に参加した際の記憶では風が強くて寒い事が最大の悩みだったので、開催時期が遅れることにより気温が上がる事は喜ばしい限りです。その影響で25日、26日ともに事前予報の降水確率は40%から50%となってしまいましたが、私の参加するイベントは呆れられるほどいつも晴れることで有名なので、今回も「どうせ晴れるだろう」と気にせずホテルを予約します。

このブログでも過去に何度か書いている事ですが、私が参加した過去のレースやロングライドイベントではどんなに降水確率が高くても、結局、雨天になる事は皆無というぐらい天候に愛されているので今回も微塵も心配しておりません。




しまなみ海道2回目となる今回の縦走の目的は新しい魅力を発見する事です。71kmの最短コースは半日で往復できる事は分かっているので、出発地点の尾道側にホテルを取り、今治に行ってピストンで帰ってくる事を目指します。途中で雨が降ってくる事は考えません。

東京駅から始発の東海道新幹線のぞみ1号に乗り、尾道の西隣にある三原のホテルに荷物を置いてジャージ姿に着替えたら準備は完了です。

国道2号線で尾道を目指し、尾道からしまなみ街道に入ってからは縦走のルート通りに今治のサイクリングターミナル・サンライズ糸山へとまっすぐに向かいます。

「しまなみ海道の新しい魅力を発見する」という目的から昼食は、地元で有名な向島の立花食堂さんと決めていたのですが、残念ながら人気過ぎて行列ができていたので因島まで移動してエイドステーション・因島フラワーセンター側のアンパッソさんでスパゲッティを頂きます。

率直に言ってクリーミーなソースがとても美味しかったので、他のメニューも試してみたくなります。昼食をとった後は向かい風の中をひたすら走り続けて生口島を越え、愛媛県に入ります。

去年も堪能した瀬戸田のジェラートを食べるために一時休憩しても良かったのですが、ガーミン計測で3℃の気温の中を時速30km/h近くで移動するのは寒いので仕方がありません。

もちろん伯方の塩アイスクリームは今回もお預けです。

吹き付ける強い風の中を大島に降り立った時には既に14時を回っていました。

予定ではここで亀老山という絶景ヒルクラポイントを訪れて、しまなみ海道を一望する写真を撮るはずなのですが、この後、四国から折り返して本州まで帰らなければならない我々には時間的に厳しいという事で泣く泣く断念します。

しまなみ街道は景色と道は最高でも、街灯はほとんどありませんので日中の明るい時間でなければ安全に走る事は難しいのです。


大島を真っ直ぐに走り抜け、異様に長い来島海峡大橋を越えて今治のサンライズ糸山に到着した頃には、時刻は15時03分となっていました。

ここから折り返して約4時間かかると見ると日没までに尾道まで辿り着けるかは微妙なものがあります。

不安が半分、諦めが半分という心境でクランクを回します。

心持ちとは裏腹に愛媛県を過ぎて広島県に入っても日没は訪れません。時刻は16時47分。

これ以上、遅くなってしまうと夕食を摂れるお店が悉く営業終了してしまうので、生口島・瀬戸田の味処わか葉さんに立ち寄ります。

わか葉さんでは天麩羅が頂けます。去年も訪れなかった事が悔やまれるぐらい、あっさりとしながら上品な味に「久しぶりに天麩羅を味わっている」という不思議な感動を覚えます。

夕食をとって生口島を後にするといよいよ日没が近づき、辺り一面が暗闇に包まれます。予想していた事とは言え、実際に視界が悪い夜間にアップダウンを繰り返すのは危ないですね。

側溝に落ちそうになったり、下り坂に現れるグレーチングに恐怖しながら因島と向島を越えると時刻は18時36分を指していました。

春分点を過ぎたとは言え、この時期の日本では既に夜間となる時刻です。


さながら香港の夜景のような尾道の景色に見とれた後、ホテルのある三原へと向かいます。

続き:しまなみ海道一望!高見山ヒルクライム

まさに霊峰・氷点下の富士は別世界

登山者がテントを背負い、数日かけて山頂まで到達するような険峻は、私の生活とは関わりのないものだと思い込んでいました。

日本一の標高を誇る富士山はその最たる例で、せいぜいが遠くから眺めるぐらいの存在としか意識したことはありません。

そんな世俗の世界から遠く離れた神域を訪れる事になったのは、前日までは予想もしていなかった偶然の巡り合わせの産物です。




これまでも何度か一緒にライドに出掛けた事のある、たんげさんと一緒に静岡県の海沿いを走ろうと車で高速道路を走っていると、突如として渋滞に巻き込まれます。

1時間も掛けて500mも進まないような酷い渋滞です。待っている間に対向車線を何台もの救急車や消防車が走り抜けていきます。

調べてみると私の通行する約20分前に後ほど全国ニュースになるような大規模な事故があり、交通規制まで実施されます。

そのために動くに動く事もできず、1時間以上も待ってようやく脱出できた先が富士市の北部です。

本来であれば海岸線に到着していたはずの時間もとっくに過ぎ、なおかつ、ここまで来てしまった以上、走らないという選択もないので、急遽、予定を変更して富士の裾野を巡るライドと相成ります。

2月とはいえ、暮れともなると関東平野では春の訪れを感じる事も少なくありません。



香取神社(墨田区)の梅まつり

ところが富士の裾野では到着前から積雪注意の案内看板があちこちに設置され、午後1時過ぎに到達した際のスタート地点の外気温は僅か2℃。

恐ろしい事には、このスタート地点の標高は僅か600mにも満たないのです。

気温も別世界であれば、坂の長さも他の山々とは一線を画します。私たちは富士宮市の篠坂交差点から富士スカイラインへと入り (富士宮側) 五合目を目指したのですが、この登り坂がとにかく長いのです。

斜度9%が頻繁に現れる急勾配が休みなしに9kmも続きます。

登りきった先でも平坦になるわけではなく、ただ斜度が緩むだけであり、登り坂が続く事に変わりはありません。

標高650mから1000mに至る九十九折を抜けた先に見えるのは絶景…ではなく、どこまでも続いていきそうな長い登り坂です。

目指す先は3000m級の本物の高山である以上、1000m程度を登ったところで終わりが見えないのも当然ではあるのですが。

こうした景色は同じく3000m級の合歓山で見たことがありますが、合歓山に至る太魯閣峡谷と富士山との大きな違いは、合歓山を含む台湾中央山脈が連山なのに対して富士山が独立峰である事です。

言い換えますと高い山の連なる峡谷のヒルクライムと比較して、単峰のヒルクライムでは目指す先との距離 (標高差) や山体の大きさ、裾野の広さを常に意識させられる訳です。

そこで感じたのは富士山の神々しさ、圧倒的な大きさと人を寄せ付けない険しさです。

到達した地点の標高は同じであっても、富士山の場合には風の強さや坂の長さから山頂に至るまでの距離感をより強く感じさせられます。

そのヒルクライムも残念ながら、完遂することなく突如として終わりを迎える事になります。



標高の上昇と供に徐々に路面を覆う面積の増えていく積雪が、ある地点から完全に舗装路を覆うようになります。

こうなると登りも危険ですが、下り坂では命の保証はありません。

この辺りが引き時という事で意見が一致したので、折り返して下山する事に決まります。



ほんの偶然から訪れる事になった富士ですが、一部だけでも身をもって体験する事でそのヒルクライムの困難さを十分に感じさせてくれました。

ドイツ語を話せずにドイツに来ると不便

30年近く生きてきてヨーロッパで警察官のお世話になったのも前回が初めてですが、ドイツにいてドイツ語が話せないというのも新鮮な経験です。

今までに気にした事がなかったので気がつきませんでしたが、ドイツでドイツ語を話せないと得られる情報が限定されて極めて不便です。

英語併記の少ないフランスと比較して、ドイツでは英語併記がより一般的なため空港や地下鉄や観光名所では英語の看板がある事も珍しくはありません。

しかし、郵送で荷物を送ろうとしたり、安くて古いホテルに泊まろうとしたり、鉄道が遅れたり事故があったりした場合は、英語だけではどうしようもありません。




ミュンヘンのような外国人の多い大都市でスーツケースを持っていると毎日のように英語で話しかけられるため、ドイツでは英語が通じるものだと今まで思い込んでいましたが、ドイツ語が話せない日本人と一緒に数日を過ごして見ると英語が苦手なドイツ人も一定数存在する事が分かります。

時制や動詞の語順、関係詞などに細かな違いはあれこそすれ、ドイツ語話者にとって構文の似通った英語は簡単だと信じて疑っていなかったのですが、どうやら地下鉄の中やホテルの受付で英語で話し掛けてくる人々は一部の例外で、多数派はそれほど英語が得意でもないという印象を受けました。

話し掛けられても「助けはいらない」とドイツ語で返答してしまうので、知る由もなかった訳ですね。

同類と見られているからなのか、時折、反対に他の旅行者から英語で道を聞かれたり、助けを求められる事もあります。こうした旅行者は現地のドイツ人やギリシャ人、トルコ人と外見や発音では区別できない事もありますが、必ずしもドイツ語が話せる訳ではありません。

何にせよ「英語でだけで何とかなる範囲」を注意して見ていると驚くほど限定的で、あまり多くは望めませんので不便な思いをするという結論に至ります。

続く