真夏の北海道自転車旅 (2) 輪行大移動

午後2時に苫小牧港に到着した我々を待ち受けていたのは生憎の雨空。荒天の事前予測を撥ね退けて出港した船とは言え、そう何もかもがうまくは行くとは限らないようです。

フェリーターミナルのある苫小牧西港と中心市街地の苫小牧駅とは、およそ 3km ほど距離が離れており、天気の良い日には自走も容易です。

さらに周辺には約 20km ほど離れた位置に新千歳空港が位置しており、空港最寄りの南千歳駅まで自走することで札幌方面から来る道東への特急列車も利用できます。

ところが当日の天気は生憎の雨。現地の気温も 22℃ と低く、自転車移動のため着替えの服も1着しか持っていなかったことから、苫小牧駅まで自走して輪行で移動することになりました。

途中にセイコーマートに寄り道して、PCなどの手荷物の一部を宿泊予定のホテルに郵送しました。この荷物は滞在最終日の出航直前に回収して帰還中の船の上で使用します。

荷物を減らしても軽くならないリュックサックに辟易しながら苫小牧駅に到着。大変なのは、ここからです。




苫小牧から函館本線で南千歳に行くか、室蘭本線で追分に行って、そこから4時間も特急列車の到着を待ち続けます。

待ち時間が長いためか、JR北海道の駅舎には当然のように待合室が設置されており、列車が到着する直前までプラットフォームを訪れる乗客の姿はありません。

そこで入手できる貴重な飲食物が駅弁です。乗車時間よりも待ち時間のほうが長いので、待合室に併設されるように売店や駅弁屋が設置されていることが多いです。

そして、また当たり前のように、駅弁を購入するとその場で温めてくれるサービスがあります。

フェリーの入港時間の関係からか、船内の食堂は出航日の夕食と到着日の朝食以外は軽食になってしまい、また、苫小牧周辺の飲食店はフェリーの到着時には開店していないものが多いため、駅弁を入手できるかどうかは重要な問題です。

苫小牧から南千歳まで列車移動して待つこと数時間。

あまりに長い待ち時間に堪らず、到着した特急『スーパーとかち』に乗り込みました。

この列車は車体が新しく、どんどん加速していく割に、乗り心地も快適でした。

それでも電化されていない気動車で、線路は単線、時折、朽ちかけたスノーシェードのようなものを潜り、線路上に野生動物がいる場合には停止するあたりが北海道を感じさせます。

実際、占冠と新得付近で2回も野生動物と遭遇して停止することになりました。

終着駅の帯広に到着したときには完全に日も暮れて、駅構内には誰一人として利用客がいませんでした。

ここで待ち続けること、さらに1時間、ようやく釧路行きの特急『スーパーおおぞら』が到着しました。

ところが、この特急列車は『スーパーとかち』とは打って変わって振動が多く、常に小刻みに震え続けるばかりか、カーブのときには車体が大きく揺れて、卓上の飲み物がこぼれそうになりました。

米原から北陸に連絡する特急『しらさぎ』や臺鉄の『太魯閣號』、京都線の新快速どころか、苫小牧までの船とも比較にならないほど揺れます。

それに加えて、特急乗車1回につき特急券1枚が必要となりますので注意が必要です。

新幹線と同じ感覚で列車を乗り継いでいくと、その都度、特急券を購入することになります。



特急列車に揺さぶられること1時間40分。ようやく到着したのが今回の目的地、釧路です。現地時刻は 21:59 。外気温は 17℃。東京を出発してからの移動時間は、およそ2日間。

到着時刻といい、移動時間といい、長袖を着ていても肌寒いぐらいの気温といい、思わず口を衝いて出てしまうほど遠くにやってきた気がします。

直行便で移動する出張先の東南アジアやヨーロッパよりも遠いところにやって来た印象が強く、うっかり日本時間との時差を確認しようとして笑い話になりました。

8月の中旬でも最高気温が20℃を下回る都市が海沿いにあるなんて、日本は広いとしか言いようがありません。

釧路は道東では最大の都市とされていて、港湾法上の重要港湾も立地しています。そのためか、統計値で眺めたときの印象よりも都市規模は大きく感じられます。

大きなホテルもいくつか存在しており、直前でも空室が見つかったのは幸いでした。

真夏の北海道自転車旅はいよいよ、ここから始まります。

つづく

真夏の北海道自転車旅 (1) 大洗出港

いつもお世話になっている丹下さんの夏休み北海道旅行に相乗りさせていただいて、北海道を自転車で縦断することになりました。

なんでも8月中旬のお盆休み前後の時期になると、太平洋側から出港する北海道行きのフェリーには直前キャンセルによって空席や空室が生じることがあるらしく、時期を合わせるとチケットを取れることもあるそうです。

その反対に日本海側のフェリーは台風や悪天候の影響を受けづらいことから人気が高く、予約開始直後にチケットを確保できていなければ、まず乗船することはできないのだとか。欠航の少なさと定時制と引き換えにチケット購入の難易度が高めのようです。

今回の旅行が決まったのは、なんと出航の一週間前。私が合流することが決まった時期に至っては、出航のわずか4日前という有り様です。

唐突にフェリーのチケットを取れたという連絡を受けたことで、私は慌てて予定を調整し、仕事を引き継ぎながら、久し振りのロングライド用の装備を整えることになりました。




いつも通りであれば、必要な携行品から目的地、宿泊先から走行経路に至るまで、何もかも自分自身で決定するところです。しかし、今回ばかりは引き継ぎに時間を取られて、おおよそ何の下調べもできないまま、船に乗り込むことになりました。

あまりに急いで家を出たので輪行袋の存在を忘れており、水戸に到着してから新規に現地で調達するはめに陥ります。

可能であれば輪行袋は持って行きたくないのですが、日本(と台湾の一部)の鉄道とホテルに自転車を持ち込む際には規則によって必要とされますので、持っていないと結局は自分が困ることになります。

香港の地下鉄でも輪行時には前輪を外すという不思議な規則がありました。

その点、フェリー移動の場合には分解収納は不要ですので、自転車の持ち込みに関しては気が楽なのですが、非常時のことを考えると鉄道利用の予定がなくても輪行袋を持っていた方がいいと思われます。

無事に輪行袋を入手して大洗に向かうと青空の下に見渡す限りの太平洋が広がっていました。事前の天気予報では台風の影響も懸念され、出航さえ危ぶまれていたことが嘘のようです。

そのままフェリーターミナルで乗船手続きを済ませて夕暮れを待ちます。大洗発のフェリーには夕方便と深夜便の2つがあり、そのうち私達の乗船する船は夕方便に当たります。

乗船手続きが始まると、徐々に駐車場の二輪車も数が増えてきました。

やがて日が暮れる頃に乗用車や二輪車の運転手が、続々とフェリーターミナルの外に移動していきました。

普通の乗船客はターミナルビルから専用の通路を通ってフェリーに乗り込みますが、自家用車を持ち込む場合、運転手だけは1階船室部分の車両および貨物搬入口から乗船することになります。

大洗-苫小牧間を運行する商船三井フェリーの場合、自転車も車両搬入口から乗り込むことになっており、四輪の乗用車が乗船を終えた後に自転車の乗船が始まります。自転車の次は二輪車で、最後に貨物の搬入を待って船が出港します。

大洗港を出る際には日も暮れて、あたりは完全に薄暗くなっていました。

間もなく夕食の時間が始まり、就寝時間がやってきます。

国内路線としては格段に長距離を航行する大型船だけあって、船内食堂も大きく、大浴場や給湯室、洗濯機まで完備していて船内は快適そのものです。

それでも台風などで波が荒い場合には食堂が営業しないこともあるそうです。

また食料品や土産物、歯ブラシや酔い止め、USBケーブルなどを販売する売店も設置されているためか、他のフェリー路線では当然のように設置されている冷凍食品やインスタントヌードルの自動販売機が見当たりません。

それらは船内の売店で購入することが可能ですが、売店には営業時間がありますので、深夜や早朝に何か食べたくなったときには注意が必要です。

私達が利用することになったのは SUPERIOR という等級の個室で、こちらも船内同様に広くて快適でした。室内に4つも電源が確保されていて、個室内の浴室にはシャワーまで完備されています。

着替えもバスタオルも準備されており、ビジネスホテルと違いが分からないほど立派に見えました。

もちろん、航行中には船体が揺れるので、ここがホテルの個室ではなく船の上なのだということは、しっかりと実感できます。

出航日前日までは荒天が予測されていただけに、大型船でも揺れるときはしっかりと揺れるみたいです。

幸いにも食堂が営業中止することもなく、船酔いしている乗客も確認されることはありませんでした。

翌日、目覚めると朝靄のなかに三陸海岸が見えました。北海道はもう目の前に迫っています。

つづく

「遠州一の激坂」秋葉山を登る

神秘的な朝霧の天竜を遡ること、およそ1時間、気田川と天竜川の交わる地点に秋葉山はあります。

赤石山脈の南端に相当するこの秋葉山が、何をもって「遠州一」と呼ばれているのかは分かりかねますが、知名度の点で言えば間違いなく遠州一と断言してしまっても良いでしょう。

もちろん、名前だけではなく平均斜度も 10% と強烈です。距離と獲得標高に至っては 7.2km に 700m 超と何かの冗談のような数値が出ています。

東京都内でもっともキツイと言われる和田峠でも距離 3.5km に 平均斜度 10.3% ですから、秋葉山は単体でおよそ和田峠2つ分という恐ろしいスペックを誇ります。

あの林道風張線でも全長 4.2km に獲得標高 490m 程度しかありませんので、全長 7km に獲得標高 700m 超というのが、どれぐらい凄いのか分かります。

そもそも比較対象が林道な時点で並大抵の坂ではありません… と思っていたら、こちらも列記とした林道でした。

全長 53km の天竜スーパー林道 – その最初の 7km こそが秋葉山本宮の参道であり、今回のライドの目的地でもあります。

私は車両進入禁止の森林作業道には立ち入りませんので、公道や廃道ではない意味での「林道」には登山(徒歩)以外では訪れることはないのですが、自由に通行して良いのであれば話は別です。

秋葉神社までは通行して良いのであれば、ありがたく通らせていただくまでです。




この林道の起点近くに自動販売機があり、買おうと思えば飲み物も補給できるみたいでした。このときの私は飲みかけの綾鷹の処理に困っていたので、詳細は確認していませんけど、定期的に商品が補充されている雰囲気はありましたので、最悪でもここで飲料を調達できるかも知れません。

林道に入ってしまうと、秋葉山本宮にたどり着くまで補給地点は一切ありません。

そして前述の通り、この林道は半端ではありません。

距離と斜度だけでも十分に危険ですし、林道らしくガードレールが部分的にしか設置されていませんので、気をつけていないと滑落するおそれがあります。

それに加えて、豊富な湧水が路面に溢れ出している箇所が幾つも見受けられます。この豊富な湧水は関東平野の辺縁では、まず見られません。

その一方で空気は澄み切っていて、人の気配は微塵もなく、緊張感を感じられるほど、森の中は静かです。

時折、木立が途切れて、青空と山並みの間を覆う雲海が視界に飛び込んできます。

しかし、基本的には展望は開けず、鬱蒼とした森林の合間を縫って延々と登坂が続きます。

勾配の強烈さといい、長さといい山梨県の大弛峠によく似ています。体力が尽きる前に登坂が終わってほしいと願ったのも大弛峠以来でしょうか。

秋葉山も大弛峠のように厳しい坂道から始まって、一時的に傾斜が弱まり、また険しくなることを繰り返します。

距離を示す道路横の案内看板も正確で「あと和田峠1つ分」と数えているうちは余裕がありますが、後半になってくると登りきったつもりになっても「まだあと 1.5km もあるのか」と、しっかりと落胆できます。

大弛峠を含む他のヒルクライムスポットとの違いは、ここは赤石山脈の南端ではあっても鞍点や峠ではないということです。

足を攣りそうな思いをしながら秋葉山本宮まで登っても、林道としてはまだまだ奥まで続いていきます(ただし現在は全面通行止めです)。


登り始めた頃には朝霧に包まれて全てが曖昧に見えた光景も、到着する頃には朝の光に照らされて、いつの間にか細部まで明瞭に見えるようになっていました。

あらためてよく見てみると、厳かで緊迫した空気といい、細部まで見事な意匠を施された建築といい、樹齢 650 年の古木といい、フクロウが住む境内といい、秋葉山神社だけでも数え切れないほどの魅力があります。

この素晴らしい光景を眺めているのは自分一人なのかなと考えていたら、なぜか場違いな若い女性が一人だけいて、背後から話しかけられました。

林道に入ってから、ここに至るまで車一台すら通りかからなかったので、少しばかり驚きましたけど、本格的な登山靴にソフトシェルのジャケットという出で立ちだったので、伊那の方から稜線でも歩いてきたのかも知れません。

残念ながら、現状、ここより先には自転車では進めませんので、登ってきた道を引き返すことになります。

斜度 10% を 7km 登るのは嫌ですが、それを降るのはもっと嫌です。

最近は碌でもない山道ばかり走っていたので耐性が付きましたけど、洗い越しのように水が流れている急坂をカーボンリムで降るなんて、どうかしていると思います。

幸いにも路面はそれほど荒れておらず、交通量も文字通りに皆無だったので、コース取りと速度にだけ気をつけていれば、距離と斜度のわりには安全に降ることが可能でした。

降り切った先の景色は、モノクロだった早朝とは打って変わって、青と緑の世界に変化していました。