ディスクブレーキ搭載ロードバイクへの移行時期を考える


今からおよそ1ヶ月前のこと、ロードバイク愛好家の一部の界隈に衝撃が走りました。Tour de France を走る CANYON のフラッグシップモデルが満を持して発表されたかと思いきや、昨年と代わり映えしないスペック、同一のカラーリングで発表されたからです。

軽量な万能モデルの ULTIMATE 、長距離走行に特化した ENDURACE 、オフロードも視野に入れた GRAIL と他のロードバイクが次々と更新されていくなか、唯一、数年前からマイナーチェンジに留まっていた AEROAD にも遂に NEW 表記が付いたと思いきや、中身は昨年モデルと大きく変わらなかったわけです。

期待されていた噂の新モデルは影も形もありませんでした。

もし、ここでフレーム形状が大きく変わり、ディスクブレーキを前提として設計された新モデルに代替わりしていたら、私は即決で購入していたと思います。

最新のディスクロードの性能に強い興味と関心があるからです。

キャリパーブレーキに嫌気がさしたという訳ではありませんが、まったく思うところが無いと言えば嘘になります。

ところが実際には AEROAD のニューモデルは発売されなかったので、いろいろと余計なことを考えてしまう時間ができました。

本当に今はディスクブレーキ搭載のロードバイクの購入に適した時期なのか、と。




たしかにエンド幅の規格はフロント 12mm × 100mm、リア 12mm × 142mm のスルーアスクルに統一されつつあり、さまざまな規格が乱立していて「どの規格が生き残るか」の見通しが全く立たなかった時期に比べると、現行販売されているどのモデルを選んでも大きく失敗することはなくなりつつあります。

従来のキャリパーブレーキを廃し、ディスクブレーキに特化して研究開発を進めるメーカーもあり、今後の発展や盛り上がりも大いに期待されます。

ロードバイクに興味がある人で、これから最初の一台を購入することを考えている人は、安心してディスクブレーキ搭載車の購入に踏み切れると考えても良いと思います。

問題は既に同種のスポーツバイクを一台以上もっている人です。言い換えると、急いで買い換える必要性が低い人ですね。

状況を注視していると「今すぐに乗り換えるべき」とも断言しきない根拠が幾つか見つかります。

一例を挙げると、SHIMANO が自転車安全整備士、自転車技士を対象として公開しているディーラーマニュアル (DM-RADBR01-07)です。

マニュアル中の「ミネラルオイルの交換」の項目には「リザーバータンク内の油の変色が著しい場合は、油の交換をお勧めします」と書かれているだけで図解も設けられておらず、具体的にどうやって消耗品を交換するのかさえ、資料を読むだけでは不明瞭な状態です。

こういう資料を継続的に見ていると、メーカー側も未だに試行錯誤している段階なのではないかという印象を受けるわけです。

ディスクブレーキが普及して長い年月が経っている MTB ならともかく、リザーバータンクを内蔵したロードバイク用のブレーキレバーなんて、数年前まで誰も見たことがなかったわけで、現在あるものが最適な形をしているのかさえ分からないのです。

一方で SRAM が公開しているサービスマニュアル (gen.0000000005254_rev_d_etap_hrd_service_manual) には具体的な整備方法が図解されています。

好き嫌いで言えば、個人的には SRAM は凄く好きですけど、信頼性や価格や何よりも流通量を考えると敢えて SHIMANO 以外を選択しようとは、今のところ、私は思いません。

それぐらい SHIMANO はフランスでも、台湾でも、インドネシアでも圧倒的なシェアがあり、消耗品や修理部品を現地調達することを考えると SHIMANO 以外を選択する積極的な理由が私にはありません。

SRAM は eTap をトップグレードではなく、エントリーグレードに搭載して安価にバラ撒けばおもしろいのになとは思います。

無線電動変速機に使われている部品には、サーボや 2.4GHz 帯の無線通信モジュールなどがありますが、こいつらは汎用品であれば、それぞれ $10 もしない値段から購入できるものもありますからね (下にあるのは同じ 2.4GHz 帯のBLE通信モジュールです) 。

専用通信プロトコルの AIREA を含めて、研究開発に少なくない費用が掛かっているからこその販売価格なのでしょうけれども、これを電気機械器具と捉えれば、機械式の腕時計を過去のものにしてしまったクオーツ時計のように、価格競争力や性能的な理由からロードバイクのギアシフタは無線電動が当たり前になる未来も有りうるのかな、と。

そうなったら、私は喜んで SRAM に乗り換えるかも知れません。

もっとも、そんな未来は10年単位で見ていたときに出てくる話ですが。将来の技術進歩よりも、いま欲しいときに購入できるものに焦点を定めたほうが人生は豊かになります。楽しめる時間も有限です。

ディスクブレーキ車に話を戻しますと、今すぐ購入するモデルに関してはディスクブレーキ搭載モデルならではの機能、すなわち 28C 以上のワイドリムタイヤへのクリアランス、キャリパーブレーキでは実現できなかったエアロ性能、専用設計のフロントフォークなんかを求めたいです。

VENGE などの一部のモデルを除いて、現状のディスクブレーキ車がキャリパーブレーキ車に対して明確に優位性があるのはクイックレリーズを排除できた点だけで、それはそれで素晴らしいことですが、それだけでは軽量性などの利点を捨ててまでキャリパーブレーキ車から乗り換える動機としてはあまり強くはありません。

クイックレリーズ自体は、ロードレース中の機材故障に対応するための方法が他になかった時代には画期的であったのでしょうが、その構造上、固定力は貧弱ですし、その割に固定時には腕力が必要とされますし、さらにはホイールの固定位置が一定位置に定まらないという明らかな問題があります。

そうでありながらも、あまりに普及しすぎていたために業界も消費者も当たり前のように受けいれて、運用面で対応していました。さながら電荷素量や電流の向きのように。

そのクイックレリーズをディスクブレーキの採用と同時に撤廃できたことは、ロードバイクにとっては大きな進歩であると思いますが、それだけでは訴求力が少し弱いのです。

RFC4291 において、とくに合理的な理由もなく IPv4 に採用されていた10進数が撤廃されましたが、普通にインターネットに接続している人には「だから何なのだ」という話ですね。

ディスクブレーキ前提で設計された新型 AEROAD がされれば、私は購入するつもりでいますけれども、よく言われる「雨の日の制動力」といった後ろ向きな理由ではなく、新技術を活かした差別化がなされることを望みます。

それから、コンポーネント側の整備性やモデルの継続性への不安は、何とかしてほしいですね。

なぜ自転車(ロードバイク)に乗らなくなるのか — どうして日本の道路は走りにくいのか

興味を持ってあれこれ調べて、一念発起して購入したはずのスポーツ自転車。

気がついたら最後に乗ったのは何週間も前のこと。自分の世界が広がる感覚が楽しくて遠出していたのは昔のこと。毎週末のように顔を合わせていたはずのライド仲間も気がついたら誰も自転車の話をしなくなっている。

とくにロードバイクでは顕著だと思われますが、クロスバイクでも、ミニベロでも思い当たるフシがある人はおられるのではないでしょうか。

ロードバイクに顕著と仮定している理由は、ロードバイクが主に車道を走る自転車だからです。

せっかく通勤や観光とスポーツを両立するために自転車を始めたのに、自転車に乗ることで却って危険な思いをして、不愉快な気持ちになり、排気ガスで不健康になり、駐輪場所を探すだけでも一苦労するのでは自転車を嫌いになっても無理はありません。

自転車に乗らなくなった人の気持ちは良く分かります。




一度、乗り始めたら最低でも一時間は拘束されますし、ツーリングに出かけるにしても専用のヘルメットやシューズ、快適性を維持するために必須のサイクリングウェアが荷物として嵩張ります。寒さや悪天候、向かい風で心が折れそうになっても、いつでもどこでも止められるわけでもありません。

でも、それより、まず第一に道路事情が悪いことが問題になります。

こう思うのは、私自身が土砂降りの雨の中を何時間も山道を走り続けたり、海外出張(それなりの長期滞在)に自転車を持参するための苦労は厭わなくても、日本のとくに関東地方の道路で自転車に乗ることには耐え難い苦痛を感じるからです。

それと矛盾するようですが、日本の道路そのものは決して悪くないと私自身は思っています。

ドイツやフランスの郊外では広い道路よりも狭い農道のほうが一般的ですし、車両通行に適さない旧市街や橋などを一方通行にして強引に車を通していることも珍しくはありません。日本であれば片側一車線になっていても良さそうな道路でも、拡幅されず、白線も引かれないことが多々あります。

米国やカナダは直線的な道路のつくりもあってか、都市部を離れると通行車両の平均速度が自転車では危険を感じるほどに高くなりがちですし、国土の広さと気候を考えるとやむを得ない気もしますが、路肩がない道路、北海道などとは比べ物にならないほど舗装が悪い道路もかなりあります。

インドネシアやベトナムなど東南アジアの道路は、基本的に歩行者の横断というものが考えられていません。車両(主に二輪車)と自転車、歩行者の通行する場所の区別が曖昧ですし、時折、逆走も見られます。

文句なしに走りやすいのは、上海など中国の(それも郊外の新しい)市街地ですが、これは車と自転車・二輪車と歩行者を完全に分離したうえで、絶大な権力を持つ警察機構が監視カメラを多用して違反者を容赦なく罰しているからです。

日本の場合は全国どこでも道路、トンネル、橋がよく整備されていますし、舗装状態も悪くありません。

では、どうしてこんなに走りにくいのかと言えば、自転車(または歩行者)と車との距離が近すぎること、車の追い抜き速度が高すぎること、違法駐車や煽り運転、横断禁止場所での歩行者の横断や信号無視、自転車の逆走や右折など遵法意識やモラルが低いこと、そして無計画に設置された信号が多すぎることなどが原因として考えられます。

結果として、車が通らない、交通量が少ない、誰も寄り付かない道路こそが良い道路という本末転倒な事態になっています。

一見するとハノイやジャカルタのような東南アジアの大都市のほうが危なそうに見えますが、実際には危険を感じる頻度は日本の道路のほうが圧倒的に多いのです。

現地を走ってみると、歩行者や対向車が飛び出してくることを想定して、いつでも止まれる低速で動き続けているので、事故に巻き込まれそうに見えて「危ない」と感じることは 1,000km あたり 5 回未満しかありませんでした。

それに対して日本の道路は、信号によって急停止と急発進を繰り返し、隙きあらば高速度で幅寄せしてくる車で溢れており、たかだか 20km 走行した時点で 10 回以上も命の危険を感じました。

路肩にいる自転車に対して威嚇目的でクラクションを鳴らす車も日本が突出して多いので、たまに日本の道路を走ると強い違和感と憤りを感じます。

これでは、しまなみ海道や霞ヶ浦といった自転車道のそばにでも住んでいない限り、自転車に乗らなくなってしまっても無理のないことです。

交通量の話をすれば、どこだって交通量は多いですし、最近になってから自転車を対象としたインフラ整備に目を向け始めたのは日本だけではありません。関東地方を例外とすれば、人口や通行車両に対して道路が狭すぎるところも日本だけが特別に多いわけではないのです。

日本の道路は自転車に向いていないという意見も耳にしますが、少なくとも私はそうは思いません。自身が他国に居住したり、滞在したりした経験から述べれば、自転車に向いた道路づくりをしている国など基本的にはありません。これは自転車大国のオランダ* であっても変わることはありません。

日本と他国とでハード面が大きく変わらないのに、これほど心象が異なるのはソフト面が大きく異なるからです。情けないことではありますが、だからこそ同時に希望も持てます。改善の余地が多大にあるからです。

しかし、現状の道路環境を維持したまま、自転車の利用振興を唱えたところで効果は限定的でしょう。好きで自転車に乗り始めた人が嫌になって辞めざるを得ない環境に目を向けない限り、自転車から人が離れていくほうが自然です。

私だって東京に縛り付けられていたら 100% 自転車を売却して、二度と乗らなくなっていたことは間違いありません†。普通に乗り続けている人は尊敬に値します。

車道走行に恐怖を感じるのは自然なことですし、毎回の点検整備や拘束時間の長さが億劫に感じるのも、駐輪場探しに苦労することに嫌気が差すのも特におかしなことではありません。自転車を辞めたくなった人を責めることはできませんし、辞めたくなったからといって恥じ入る必要はないのです。


* ベルギーについては語れるほど長く滞在したことがないので事情は分かりません。

† 幸か不幸か、私は転勤族の生まれで義務教育期間だけでも転校回数 10 回以上という環境で育ち、自転車は飛行機に載せて持ち運べるという価値観を幼児期から刷り込まれているがために、個人的な利点を見出していることが継続に繋がっています。もちろん、私は多数派には属せませんし、皆が自分と同じことをすべきとは微塵も思いませんので一般化はできません。

南国の島 長洲

長洲 (Cheung Chau) は香港島の南西およそ 10km に位置する小さな島です。当地では有名な観光名所らしく、到着早々に記念撮影の自撮りを行う人をあちこちで見かけるほか、12月下旬でも水着姿で市街地を歩く若い男女の姿が散見されます。

香港の英語圏ではサイクリングスポットとしても有名で、繰り返し名前を聞く機会があったため、自然と「いつか訪れてみよう」と思う場所の一つになっていました。

長洲には新渡輪 (New World First Ferry) の船で行くことができます。一番わかり易いのは香港島の中環碼頭(Central Ferry Piers)から出ているフェリーまたはジェットフォイルです。

中環碼頭とくれば、思わずここに行きたくなりますが、ここは九龍に向かう7號渡輪碼頭 (Pier No.7) なので微妙に位置が異なります。

離島地域に向かう船は、ここから少し西よりにある 1 から 5 号までの碼頭から出ています。現地を訪れてみると離島行きの『港外線』は右手側という看板がありますので、それに従っていくと間違いがありません。

中環碼頭には長洲以外にも大嶼山、馬灣、坪洲、南丫島の各島へと向かう航路が集約されており、離島観光に向かう旅行者だけでなく、中心市街地へと通う離島居住者にも利用されています。そのため時刻表には隙間なく数字が並んでおり、端の方を良く見ると定期券の値段まで書いてあります。

移動時間は長くても1時間に満たないため、チケットは現地で当日購入するか、または乗船前に八達通(Octopus)の自動改札を利用すれば事前予約は必要ありません。

注意が必要なのは自転車やペットを持ち込む場合で、先に述べたように高速船の利用が制限されます。

私が碼頭に辿り着いたときには船の姿は未だ見えず、チケットの販売も行われていませんでした。出船時刻の 10 分前になって船が到着すると、ようやく有人カウンターにも担当者が現れ、乗客は乗船位置まで移動できるようになりました。

そのまま自転車を携えて船に乗り込むと程なくして船は出航し、維多利亞港の摩天楼の合間を縫うようにして沖合を目指します。

短い船旅と頭では理解していながらも、船に乗り込む時にはいつでも非日常的な光景に胸が高鳴ります。およそ 30 分ほどの乗船を経て到着した長洲は、しかし、私の想像とは全く異なる場所でした。

事前知識もなしに初めて訪れた長洲に対する私の第一印象は「強烈な違和感」でした。

沖合からも見渡せる、丘の上まで広がる建造物、小さな湾内を埋め尽くす漁船、遠目にも見える海岸沿いの商店街と人だかり。漂う雰囲気はまるでベトナムのハノイのようです。

この「違和感」は長洲への上陸とともに確信に変わり、滞在時間が長くなるほどに確信の度合いはより強くなっていきました。

この島はサイクリングには向いていない。少なくともロードバイクで走り回るようにはできていない。




車こそ一台も見ないものの、迷路のような商店街のあいだの狭い歩道、大通りを歩く人の密度、島の端から端まで道なりでも 3.8km という距離、そのどれを取っても自転車で周遊するのに適した場所とは結びつきませんでした。

島の西岸の桂濤花園 (Scenic Garden) から天后廟 (Sai Wan Tin Hau) までのおよそ 3.3km の海沿い道路は平坦で景色も良いですが、そこを少し外れると平均斜度 13% 超の坂道や階段ばかりです。

基本的に車の通行を前提としていないこともあり、アスファルト舗装はされておらず、丘の上は「ここは自転車で通っても良いのかな」と自問しなければならないような狭くて傾斜のきつい通路しかありません。

一日あれば、無理なく島中を歩いて巡れるので、ここはハイキング目的に徒歩で訪れたほうが良いのではないかと思われました。

取り敢えず、人が疎らな北部を回っていると不思議なものを見つけました。周辺に神社があるわけではなく、この鳥居の謂れは全くの不明です。北眺亭と呼ばれる景勝地の入り口になっており、ここから徒歩で階段を登っていくと港島が一望できるビューポイントにたどり着きます。

場所が場所だけに訪れる人も他におらず、眺めは最高なのにあたりはとても静かです。

北側に進める道路がなくなったので、今度は来た道を引き返して南側へと向かいます。香港域内はどこもそうなのですが、島一周や半島一周ができるような道路は存在せず、先端部の道路はどこにも繋がらずに行き止まりになることが通常です。

長洲の場合もそれは同じ。道路がなくなったら引き返すの一択のみです。

人通りが疎らだった北側とは打って変わって、南側は丘の上まで所狭しと宅地化されていました。丘上の住宅街のほうは遮蔽物のない風通しの良さで、下町の商店街とは全く別の町のような雰囲気です。

中心部と同様に人通りは多いものの、ここにいるのは島の住人のほうが多数派で、時折、遭遇するハイカーの集団と私だけが余所者として目立っていました。

地元住民は丘の上でも構わずに自転車で移動し、思わぬところを通行するので、それを見ている私にとっては街全体があたかも自転車用の迷路のように思われて、少し愉快な気分になりました。

この光景はたしかに他のどこに行っても見られない長洲独特のものです。丘の斜面に張り付くような住宅街と緑地のあいだの僅かな通路を辿って、迷宮のような島を探検する感覚は正直、とても楽しいと思えました。

サイクリングのために長洲に行くという言う人の気持が少しだけ理解できました。しかし、それは決してロードバイクの走行速度にはならないものですし、スポーツとしてのサイクリングを行うには長洲はあまりにも狭すぎます。

長洲は自転車を目的に行く島なのではなく、長洲を目的としたときに自転車が移動手段になりうる島なのだと思われました。