真夏の北海道自転車旅 (6) オホーツク地方の拠点都市

実際に訪れてみると網走は美しい自然にあふれる魅力的な土地でしたが、当日宿泊できる施設が見つからなくて困りました。

オホーツク総合振興局(旧網走支庁)が置かれた地域行政の中心地であり、流氷観光の滞在人口はあっても、人口およそ 3.5 万人の小さな町に大きなホテルはいくつも建てられないのかもしれません。

少し調べてみると、現在、この地域の最大の都市であり、経済の中心となっているのは網走から約 40km ほど南に位置する北見市というところで、こちらは人口 11.7 万人の立派な都市です。

東京都で例えて言うと、多摩湖の奥にある(狭山湖のさらに奥にある)瑞穂町(人口 3.2万人)と拝島駅のある昭島市(人口 11.2万人)ぐらいの違いがあります。

この経済規模のためか北見市にはビジネスホテルが充実しており、この地域の宿泊先を探しているときに非常に頼りになります。




ただ部屋数に余裕があるだけではなく、美幌峠まで 49km 、阿寒湖まで 67km 、サロマ湖まで 54km 、石北峠まで 70km 、ついでに旭川まで 156km とロケーションも理想的です。

特急『オホーツク』で札幌や旭川から乗換なしでも来れますので、阿寒摩周国立公園(阿寒湖・屈斜路湖・摩周湖)や網走国定公園(能取湖・サロマ湖)に行かれる際には、北見を拠点にされると何かと便利かも知れません。

さて、宿なし、行く当てなし、土地勘なしで網走まで北上して、引き返すことになったわけですが、往路は網走湖の東側を通ったので、復路は西側を通ります。

東側には国道と鉄路のあるのに対して、西側には「オホーツクサイクリングロード」に指定されたルートがあります。

交通量が少ないことと道幅が広くて一直線の農道が何本もあることから、サイクリングロードに指定されていない場所でも十分に走りやすいです。

肝心の自転車乗りの姿はあまり多くはありませんが。

網走湖を通り過ぎて女満別に入ると、往路と同様のアップダウンを見せつけてくれます。自転車で走ってみると女満別の起伏の激しさが良く分かります。

丘陵地帯を越えて北見に近づくと、徐々に山岳道路のような雰囲気まで帯びてきます。

地図上では平坦に見えますが、北見から周辺に出ようとすると、どこかしらで山を超えることになります。反対に北見に向かう場合にも山越えは避けては通れません。

国道39号線にはそれなりに補給地点はありますが、それ以外の道道を経由すると北見盆地の端野に至るまで 40km 近くも自販機すらないところもあり、下手な峠越えよりもよっぽど辛い思いをします。

しかも、どこもかしもヒグマの目撃情報が絶えませんので、時間配分にも気を遣うことが要求されます。

ところが山越えを終えると一転してロードサイド店が林立していますので、網走方面から走ってきて最初に北見盆地に入ったときには、少々面食らいます。

山間地に突入して峠を超えると、唐突に市街地が広がっているのが見えますので「山の中にどうしてこんなに大きな街が」というのが、偽らざる第一印象でした。

碓氷峠を越えた先にある軽井沢のように片峠になっていて、北見側だけが平坦なので、網走方面から訪れると途中経路では山間地しか見えず、より一層「山の中」の印象が強まります。

当日予約したホテルに到着して、背負っていた 10kg のリュックサックを降ろすと、何だかんだで 180km も走っていることに気がつきました。

数時間前には「200km も走れないと言っていた」のに本当に自転車乗りは嘘つきですね。

雨で湿った衣服を浴室で手洗いしてから、靴を履き替えて北見の中心市街地を散策します。街中には一目で分かるほど焼肉屋が多いです。

それでも気分的にはラーメンで絞めたかったので、雰囲気の良さそうなラーメン屋で「北見ラーメン」をいただきました。

ちなみに「北見ラーメンというジャンルはない」そうですが、「この辺りはタマネギの生産量が日本一なのでタマネギでアレンジしている」北見のラーメンとタマネギ餃子をご馳走になりました。

普通に美味しくて、これはこれで良いなと感じました。

つづく

真夏の北海道自転車旅 (5) 道東縦断のオホーツクブルー

美幌峠にて唐突に目的地も、その日の宿泊先も失い、見知らぬ土地で独りきりとなってしまった私は、取りあえず、そのまま北上して網走を目指すことに決めました。

分厚い雨雲が覆いかぶさっている知床半島よりも、青空の広がっているオホーツク海の方が素敵なことが起こりそうな予感がして、自然と気分も盛り上がります。

一方で雨雲を追いかけるようにして、当初の予定どおり『天に続く道』から知床半島に入った丹下さんも「予定は狂ってからが本番」となぜか満足気にメッセージを送ってきます。

皮肉にも単独行動に移行してから、北海道を訪れて以来の青空が広がり始めました。

思えば、苫小牧港の到着前から雨を追いかけるように北海道に、そして道東へ、摩周湖へと移動をつづけていたことから、本当に久しぶりに青空を眺めるような気がします。

そして、ほんの偶然(その日、そこだけ晴れていたこと)から、辿り着いた女満別という町が青空に映える美しい町だったことも幸運でした。

周辺の屈斜路湖や知床などと比較してしまうと、女満別には空港以外は特筆すべきものはなく、観光地化されていない普通の町に見えるのですが、いかにも「北海道に来ました」と主張しているかのような広大な耕作地と丘陵地帯が広がっていて、町そのものが絵になります。




また町自体もそのことを自覚しているかのように「美しくあろう」としている努力が随所に窺い知れて好感が持てます。

国道39号線を外れるとアップダウンも激しく、耕作地の中に突如として斜度 9% の坂が現れることもあるので、自転車で走っていると非常に楽しいです。

調子に乗って国道を外れ、未知の道道を進むうちに、いつの間にか網走市内に入ってしまったことを住所表記で知ります。

慌てて進路を修正し、GARMIN に表示された地図を頼りに網走市街を目指します。

いつの間にか国道と並走していた石北本線の踏切を越えて、網走湖畔を北上し、網走川をくだるように走り続けると、ようやく網走の市街地が見えてきました。

網走駅に到着したときには安心感と嬉しさで「もう大丈夫だ」という気分でいっぱいになりました。

関門海峡を越えたり、新幹線で小田原を通り過ぎたり、周囲の看板がスペイン語から英語に変わったりと、人によって「帰ってきたなぁ」と感じるポイントはいろいろあると思われますが、それに近い感覚を網走に着いて感じました。

冷静に考えると、このとき、まだ当日の宿泊先も決まっていませんし、雨で濡れたリュックサックの中身もそのままなので、何も大丈夫ではないのですが、網走から能取湖を一周してサロマ湖を訪れたり、特急列車に乗って旭川まで輪行したりと、いろいろと訪れてみたい場所が思い浮かんできました。

後日、「網走と聞いて明るい希望を持つのはお前だけだ」と突っ込まれることになるのですが、そう言えば、幼少の頃、家に一冊しかなかった日本の地図帳をつかって、日本語と一緒に必死に勉強したときに、網走市の位置も覚えたことを思い出しました。

網走という土地について、私が知っているのはその時に覚えたことだけです — この時までは。

網走駅を横目にさらに北を目指すと、ほどなくして灰色を帯びた水平線が目に飛び込んできました。太平洋岸の釧路からオホーツク海岸の網走まで道東縦断の完遂です。

はじめて目にするオホーツク海は、もちろん瀬戸内海とも日本海とも響灘とも異なりましたが、私にはどことなく懐かしく感じられました。

「なんだろうな」と考え続けていくと、昔に見たデンマークの海(バルト海)に似ているような気がしてきました。

網走の市街地を過ぎると、さすがに車も少なくなり、時折、通りかかる二輪車のライダーを除いては通行者もいなくなります。

彼らも本州や九州などから休暇に来ているようで、追い抜きざまにサムズアップのジェスチャーをしたり、すれ違う際に手を振ったりしてくれる人ばかりです。

こうした北海道のツーリング文化が気に入ったので、もう少し網走に滞在してみたくなりました。

しかし、困ったことには、網走にはホテルの空室が全くありません。

最寄りのホテルを探索したところ、この辺りの中心都市は北見市というところで、そこまで 40km ほど走れば、いくつもビジネスホテルがありそうな雰囲気がしました。

目的地さえ決まれば、「あとは走るだけ」なので気分も楽になってきて、本格的に北海道を楽しむ気持ちが高ぶってきました。

「予定は狂ってからが本番」というのも旅の醍醐味なのかも知れません。

つづく

真夏の北海道自転車旅 (4) 美幌峠の決別

屈斜路湖畔の川湯温泉にて一泊した我々は、ふたたび重たい荷物を背負って早朝5時に次の目的地を目指します。

今後の予定は川湯温泉から美幌峠を越えて、網走支庁(オホーツク地方)に入り、斜里町の『天に続く道』を経由して知床峠を訪れます。

その後は羅臼町にて宿泊し、翌日に向かう先は野付半島です。

ところが一つだけ気がかりになる点がありました。

前日もそうでしたが、この日も道東は全域が雨の予報で、とくに斜里町から知床半島にかけては激しい雨が降り注ぐことが気象レーダーからも明らかでした。

昨日も降水確率が 70% を越えているなかで「一度も降雨に遭遇しなかったのは本当に幸運だった」と心から思えるぐらいの気象条件だったのです。そもそも、出発前から台風の接近と大雨の予報が発表されていましたし。

しかし、この日に限っては、当日の早朝時点において天気が崩れることが一目瞭然であり、幸運など期待する余地もありませんでした。

そこで私は「まだ晴天の可能性があった」女満別から網走へと至る北西方面に進路を変更することを提案しました。




摩周湖畔でさえ視界 10m 以下の濃霧と強風と低温で消耗が著しかったのに、さらなる悪天候と濡れた路面まで加わった知床峠 — ヒグマの密集地帯を通過するのは危険が大きすぎるという判断です。

実際に今年はヒグマの出没が頻繁に目撃されており、私たちの訪問と同時期にも被害が出ています。

羅臼 クマが飼い犬襲撃5匹犠牲 標茶では牛被害–北海道新聞
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/334650

説得の結果、知床峠を経由することはなくなりましたが、それはそれで「何のために道東に来たのだろう」という気持ちも湧いてくるものです。

前述の通り、私は今回の旅程や走行経路には一切の口出しをしていませんので、その中で唯一興味があった知床峠に行けないのであれば、このまま輪行して道北の方に行きたいという気分が抑えられなくなってきました。

行き帰りの船賃だけで台湾行きの航空券と宿泊費に相当する金額を支払っているのに、どうして「雨が降っているところばかり」をわざわざ選んで行かなければならないのだという思いも北海道に到着して以来、ずっと燻り続けています。

「道央や道北に行っていれば最初から晴れていたのに」と。

釧路にしても自転車を見かければクラクションを鳴らして幅寄せしてくるような危険な車ばかりで、しかも本州基準で見ても交通量が多く、景観も琵琶湖や霞ヶ浦と大きく変わらないので、道東を一周した後でまた訪れたいという気持ちには一切なりません。

雨の中、美幌峠を登りながら、その思いを率直に伝えた結果、美幌峠から先は各自が別行動になりました。

雨が降っても行きたいところに行きたいという思いも分からなくはないですが、私にとっては初の北海道ライドであり、目的地よりも満足度のほうが優先度は上です。

雨天のライドに対しては沢登りの是非のように見解の相違もありましたが、私にとっては体力的な問題もありました。

当時の美幌峠の気温は GARMIN 計測でわずか 9℃ であり、天候は雨。強風が吹き付けていて、立ち止まっていると手足が震えだします。

レインカバーを掛けていたリュックサックも中身まで濡れていて、その上に極めつけは低血糖です。登った峠をまともに降れる体調ではありませんでした。

山あいの川湯温泉に早朝5時から営業している店舗があるわけもなく、持ち合わせのカロリーメイトと羊羹と自販機のコーヒーだけで屈斜路湖を半周して、雨の中、美幌峠を登りきった時点で危うく感じていました。

そのまま降れれば、美幌の市街地に辿り着けるのですが、前述のように低温と雨と強風のなか、未知の峠道を安全に降れる自信がありません。

さらに強い雨の中を 200km も走行して羅臼に行く自信も。

そこで美幌峠の道の駅の開店を待って補給を行うことを決めました。この選択をした時点で、明るいうちに羅臼まで自走することは時間的に不可能となります。

凍える思いで開店を待ち続け、ようやく口にしたザンギは暖かくて美味でした。生姜やニンニクなどが鶏肉の味を下支えしていて、唐揚げとは風味が異なります。

『きたあかり』の揚げ芋もメロンも普通に美味しかったのですが、牛肉コロッケの完成度が非常に高く、最後は全て牛肉コロッケが持っていきました。

食事中、体調を心配されたので、鏡を覗いてみると唇が青くなっていて酷い有様になっていました。

体調が回復してきたところで、羅臼の民宿にキャンセルと謝罪の連絡を入れると、暴風雨のため、野生動物が目当ての他の宿泊客も来ないので問題ないとのことでした。

こうして宿泊先もなく、行く宛もなく、見知らぬ山の中で、完全に独りきりになってしまいました。

つづく