真夏の北海道自転車旅 (3) 釧路湿原と摩周湖

およそ2日間の移動を経て釧路にやってきた我々は、しかし、翌朝5時には早々に釧路市街を発ちます。

交通量が少ない早朝のうちに市街地を抜けてしまいたいことが理由の一つ。もう一つの理由は単純に1日あたりの走行距離が長いので、少しでも明るいうちに活動時間を長く取るためです。

そうしたわけで、せっかくの高級ホテルの朝食はキャンセルして、憧れのホットシェフで店内飲食です。本州のセイコーマートにもホットシェフ併設店舗はありますが、店内に座席が用意されていて、その場で食事ができる店舗は道内でしか見られないので特別感があります。

実はホットシェフを利用すること自体、これが初めてです。

美味しいメロンアイスクリームで補給も万全にして、目指す先は釧路湿原、そして、その先にある屈斜路湖です。今回は自転車旅に相乗りさせて頂いている関係で、私は走行経路や目的地には一切の関与をしていません。




その分、気が楽である一方、自分で行きたいところを決められないという窮屈さも感じます。もし仮に私が計画を考えていたら、苫小牧の到着後は支笏湖や登別を経由して倶知安に向かうか、占冠から日高山脈に入ってそのまま道北に向かったことでしょう。

そうした理由もあり、道東や釧路に思い入れはなかったのですが、いざ訪れてみると道路はヒビ割れていて路面から突き上げが酷く、自転車が走っているというだけでクラクションを鳴らして幅寄せしてくる車が跡を絶たず、あげくの果てに追い越し禁止の路線で平然と追い抜きする車だらけで、心から嫌気が差してきました。

運転手の技能が総じて低く、追い抜きに失敗したり、緩いカーブでも大きく外側に膨らんだりして延々と対向車線を逆走したり、交差点の直前になって急ブレーキを掛ける車も少なくありません。

そもそも車そのものが非常に多く、どこに行っても白線の外側において「逆走してくる対向車に跳ねられそうになる」など他府県では有り得ないレベルの危険運転に晒されます。

街中を抜けて釧路湿原まで行けば改善するのかと思いきや、道路の本数が少なくなって車の密度があがることで状況が悪化するだけでした。


釧路湿原も言ってみれば低地の湿地帯なので、タンチョウヅルを眺めたり、ヨシやスゲなどの珍しい植物の鑑賞といった特別な目的を持って訪れなければ、(たとえば近所にある)琵琶湖を訪れるのと何が違うのだろうという気分になってきます。

このあたりの交通量の多さも相まって、少なくともここで北海道らしい開放感や情緒を感じることは難しいと思われました。

ここは決してツーリストの楽園でもなければ、無人の原野でもありません。

そんな中で興味を惹かれたのは釧路川と釧網本線の2つです。

釧路湿原を訪れてみると、釧路川の蛇行と氾濫が湿原を作り上げたことは、地形を眺めるだけで一目瞭然です。その釧路川と太平洋から屈斜路湖まで並走しつづけるのが国道と釧網本線の鉄路です。

この三者は時折り互いに交差しあいながら 90km 近くも並んで続いている様子には情趣を感じられます。

意図せず釧路川の終点、釧網本線の運行上の終点を経由してきたこともあり、途中から釧路川や釧網本線を見かける度に「この先はどうなっているのだろう」と楽しくなってきました。

人工物の少なかった釧路湿原を抜けると、少しづつ道路沿いに集落が見え、やがて標茶町の市街地に入ります。このあたりから耕作地や放牧地が増えて、人が住んでいる景色へと変わっていきます。

さらに農地や牧場の合間を縫って 25km ほど走り続けると、弟子屈という大きな町に到着します。

弟子屈の中心部は摩周湖から 15km。同じく屈斜路湖から 20km という立地の良さから、このあたりの観光拠点として栄えているようです。

中心駅の名前も摩周駅です。山梨の富士吉田駅が「富士山駅」に改称されたことを連想させます。

それだけに飲食店や名物も豊富にあり、道の駅で町自慢の名店を尋ねると快く案内地図を頂けます。丼グランプリで優勝した豚丼が気になったので、昨日も豚丼(駅弁)を食べたばかりですが、人気の「くまうし」さんを訪れました。

ちょうど開店時に運良く入店できたらしく、我々の後には続々と二輪車や自転車のお客さんが訪れて、すぐに満席になってしまいました。

ここの豚丼は素材の味を活かしつつ、上品な味付けをされていて大変、美味でした。思わず感心してしまったのは味噌汁も同様で、出汁の良さを活かして重層的に味を重ねているところが、さすがは名店だと思わず唸ってしまいました。

食事の後は補給を整えて、まっすぐに摩周湖を目指します。

道道52号線を道なりに、文字通りに一直線に摩周湖に向かいます。

弟子屈の中心部から 6km ほどはカーブすら無い一直線の道路が続いていて気持ちが良いです。

線形は地図で見た通りなので大きな問題はありませんが、気になったのは走り続けても斜度が上がらないことです。

摩周湖はカルデラ湖であり、周辺にある3つある展望台はどれも標高がそれなりに高かったと道の駅で予習してきたはずなのに、進めども標高が上がりません。

「これは最後の 3km で斜度が急に上がるパターンか」と警戒していたものの、きついところでも斜度は 6% を超えることはありませんでした。

ただし進むにつれて徐々に斜度と標高は上がり続け、一直線だった道路は湾曲して先が見通せなくなります。それと同時に濃霧によって視界が遮られます。

風は強いのに霧は晴れず、気温は著しく下がり、相も変わらず車の交通量だけは非常に多いという結構な悪条件です。

くわえて路上に動物の遺骸や 40cm 程度の白骨が放置されており、濃霧で視界が 10m 以下ということも手伝って、ダウンヒル時に乗り上げたら大事故につながるだろうなと危機感を覚えました。

摩周湖に到着した頃には GARMIN の気温計は 12℃ を表示していました。

ここはとにかく風が強く、自転車を降りて10分も経たないうちに体温を奪われ、手足が僅かに震えだすほど身体を冷やしてしまいました。

レストハウスで暖かい飲み物を補給していると、地元のお爺さんたちが私の自転車を鑑賞しながら盛り上がっていました。

この後も地元のお爺さんやお婆さんやお姉さんに何度も話しかけられることになるのですが、北海道に暮らす人にとって珍しい形をした自転車に乗って山間地や半島を訪れる旅人というのは、興味深い存在のようです。

少しばかり名残惜しい気もしますが、日が傾いてくると低い気温がさらに下がって危険なので、身体を温めたら直ぐに出発しなければなりません。

濃霧で何も見えない第3展望台まで少しばかり登って、川湯温泉の方に下ります。

こう書くと一言で終わってしまうのですが、川湯温泉側は急なヘアピンカーブが多くて線形が悪く、ヒグマやエゾシカなどの大型動物と遭遇する危険もありますので、単純な斜度と標高で見るよりも走行が困難です。

下りきったさきには硫黄山と川湯温泉が待ち構えます。

硫黄山は草津白根山によく似た硫化水素の臭いの漂う山で、近づくと天然の温泉の蒸気が吹き出していて暖かいです。

周辺の樹木も少なく、景色もどことなく渋峠を彷彿とさせます。

白根山の渋峠と大きく異なるのは、ここの硫黄鉱床は近くまで歩いて接近できることです。

近寄るだけで目が痛くなるほどの巨大な硫黄鉱床に、手が届くほど近づけて、天然の温泉の蒸気も浴び放題です。

こんな様子なので、近くの屈斜路湖の湖畔にいくと、無料の野外温泉まで存在します。

ちょうど身体も冷えてきたところなので、今日はこの辺りの川湯温泉で一泊です。

釧路から川湯温泉までの走行距離は約 135km 。

あと 40km ほど走ると道東を縦断してオホーツク海に出れるのですが、宿泊施設を探すことが難しかったので、ちょうど釧路と網走(オホーツク)の境界で一泊することになりました。

明日はいよいよ道東縦断の後半戦です。

つづく

「遠州一の激坂」秋葉山を登る

神秘的な朝霧の天竜を遡ること、およそ1時間、気田川と天竜川の交わる地点に秋葉山はあります。

赤石山脈の南端に相当するこの秋葉山が、何をもって「遠州一」と呼ばれているのかは分かりかねますが、知名度の点で言えば間違いなく遠州一と断言してしまっても良いでしょう。

もちろん、名前だけではなく平均斜度も 10% と強烈です。距離と獲得標高に至っては 7.2km に 700m 超と何かの冗談のような数値が出ています。

東京都内でもっともキツイと言われる和田峠でも距離 3.5km に 平均斜度 10.3% ですから、秋葉山は単体でおよそ和田峠2つ分という恐ろしいスペックを誇ります。

あの林道風張線でも全長 4.2km に獲得標高 490m 程度しかありませんので、全長 7km に獲得標高 700m 超というのが、どれぐらい凄いのか分かります。

そもそも比較対象が林道な時点で並大抵の坂ではありません… と思っていたら、こちらも列記とした林道でした。

全長 53km の天竜スーパー林道 – その最初の 7km こそが秋葉山本宮の参道であり、今回のライドの目的地でもあります。

私は車両進入禁止の森林作業道には立ち入りませんので、公道や廃道ではない意味での「林道」には登山(徒歩)以外では訪れることはないのですが、自由に通行して良いのであれば話は別です。

秋葉神社までは通行して良いのであれば、ありがたく通らせていただくまでです。




この林道の起点近くに自動販売機があり、買おうと思えば飲み物も補給できるみたいでした。このときの私は飲みかけの綾鷹の処理に困っていたので、詳細は確認していませんけど、定期的に商品が補充されている雰囲気はありましたので、最悪でもここで飲料を調達できるかも知れません。

林道に入ってしまうと、秋葉山本宮にたどり着くまで補給地点は一切ありません。

そして前述の通り、この林道は半端ではありません。

距離と斜度だけでも十分に危険ですし、林道らしくガードレールが部分的にしか設置されていませんので、気をつけていないと滑落するおそれがあります。

それに加えて、豊富な湧水が路面に溢れ出している箇所が幾つも見受けられます。この豊富な湧水は関東平野の辺縁では、まず見られません。

その一方で空気は澄み切っていて、人の気配は微塵もなく、緊張感を感じられるほど、森の中は静かです。

時折、木立が途切れて、青空と山並みの間を覆う雲海が視界に飛び込んできます。

しかし、基本的には展望は開けず、鬱蒼とした森林の合間を縫って延々と登坂が続きます。

勾配の強烈さといい、長さといい山梨県の大弛峠によく似ています。体力が尽きる前に登坂が終わってほしいと願ったのも大弛峠以来でしょうか。

秋葉山も大弛峠のように厳しい坂道から始まって、一時的に傾斜が弱まり、また険しくなることを繰り返します。

距離を示す道路横の案内看板も正確で「あと和田峠1つ分」と数えているうちは余裕がありますが、後半になってくると登りきったつもりになっても「まだあと 1.5km もあるのか」と、しっかりと落胆できます。

大弛峠を含む他のヒルクライムスポットとの違いは、ここは赤石山脈の南端ではあっても鞍点や峠ではないということです。

足を攣りそうな思いをしながら秋葉山本宮まで登っても、林道としてはまだまだ奥まで続いていきます(ただし現在は全面通行止めです)。


登り始めた頃には朝霧に包まれて全てが曖昧に見えた光景も、到着する頃には朝の光に照らされて、いつの間にか細部まで明瞭に見えるようになっていました。

あらためてよく見てみると、厳かで緊迫した空気といい、細部まで見事な意匠を施された建築といい、樹齢 650 年の古木といい、フクロウが住む境内といい、秋葉山神社だけでも数え切れないほどの魅力があります。

この素晴らしい光景を眺めているのは自分一人なのかなと考えていたら、なぜか場違いな若い女性が一人だけいて、背後から話しかけられました。

林道に入ってから、ここに至るまで車一台すら通りかからなかったので、少しばかり驚きましたけど、本格的な登山靴にソフトシェルのジャケットという出で立ちだったので、伊那の方から稜線でも歩いてきたのかも知れません。

残念ながら、現状、ここより先には自転車では進めませんので、登ってきた道を引き返すことになります。

斜度 10% を 7km 登るのは嫌ですが、それを降るのはもっと嫌です。

最近は碌でもない山道ばかり走っていたので耐性が付きましたけど、洗い越しのように水が流れている急坂をカーボンリムで降るなんて、どうかしていると思います。

幸いにも路面はそれほど荒れておらず、交通量も文字通りに皆無だったので、コース取りと速度にだけ気をつけていれば、距離と斜度のわりには安全に降ることが可能でした。

降り切った先の景色は、モノクロだった早朝とは打って変わって、青と緑の世界に変化していました。

朝霧を抜けて天龍を登れ

天竜は浜松市の中心部から、およそ 20km から 60km ほど北方にある山間地です。

愛知県の北設楽郡、長野県の下伊那郡に近接しており、絶景に魅せられて奥地まで進んでいくと、自然と県境を越えていることも珍しくはありません。

その静謐な雰囲気といい、奥行きを感じさせる圧倒的なスケール感といい、湧水量の豊富さといい、天竜の山道は省道臺八線こと中部橫貫公路によく似ています。

浜松名物の餃子が台湾滞在中の日々を思い出させることも相まって、気分は完全に台湾自転車旅行です。

そんな天竜川渓谷が最高の表情を見せるのは、何を差し置いても晴天時の早朝です。




水量豊富な天竜川の蒸気霧が窪地を覆い、月にでも行けてしまえそうなほど神秘的な光景を目にすることができます。

やがて夜が明けて、太陽が昇ると濃霧は雲海となって、地表を覆い隠しながら青と白と緑のコントラストを作り上げます。

視界がぼやけて何もかもが曖昧だった早朝から、雲海の朝を経て、陽の光によって全てが明瞭になっていく過程はあまりに鮮烈で、たった一度の訪問で天竜の虜になってしまいました。

これだからロードバイクは辞められません。

そして、この天竜渓谷の中央に控える秋葉山こそ『遠州一の激坂』と名高いヒルクライムスポットであり、南アルプス・赤石山脈の南端です。

全長 50km 超のスーパー林道天竜線もここにあります。

決して全容を知れない奥深さ、天候や時間帯によって刻々と移り変わる表情、険しい山道に美しい渓谷と、何度くりかえし訪れても感動します。

本気で浜松に移住しようかなと思えるぐらいには楽しめるので、機会がありましたら晴天時の早朝未明を選んで訪れてみてください。

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