美幌峠にて唐突に目的地も、その日の宿泊先も失い、見知らぬ土地で独りきりとなってしまった私は、取りあえず、そのまま北上して網走を目指すことに決めました。
分厚い雨雲が覆いかぶさっている知床半島よりも、青空の広がっているオホーツク海の方が素敵なことが起こりそうな予感がして、自然と気分も盛り上がります。
一方で雨雲を追いかけるようにして、当初の予定どおり『天に続く道』から知床半島に入った丹下さんも「予定は狂ってからが本番」となぜか満足気にメッセージを送ってきます。
皮肉にも単独行動に移行してから、北海道を訪れて以来の青空が広がり始めました。
思えば、苫小牧港の到着前から雨を追いかけるように北海道に、そして道東へ、摩周湖へと移動をつづけていたことから、本当に久しぶりに青空を眺めるような気がします。
そして、ほんの偶然(その日、そこだけ晴れていたこと)から、辿り着いた女満別という町が青空に映える美しい町だったことも幸運でした。
周辺の屈斜路湖や知床などと比較してしまうと、女満別には空港以外は特筆すべきものはなく、観光地化されていない普通の町に見えるのですが、いかにも「北海道に来ました」と主張しているかのような広大な耕作地と丘陵地帯が広がっていて、町そのものが絵になります。
また町自体もそのことを自覚しているかのように「美しくあろう」としている努力が随所に窺い知れて好感が持てます。
国道39号線を外れるとアップダウンも激しく、耕作地の中に突如として斜度 9% の坂が現れることもあるので、自転車で走っていると非常に楽しいです。
調子に乗って国道を外れ、未知の道道を進むうちに、いつの間にか網走市内に入ってしまったことを住所表記で知ります。
慌てて進路を修正し、GARMIN に表示された地図を頼りに網走市街を目指します。
いつの間にか国道と並走していた石北本線の踏切を越えて、網走湖畔を北上し、網走川をくだるように走り続けると、ようやく網走の市街地が見えてきました。
網走駅に到着したときには安心感と嬉しさで「もう大丈夫だ」という気分でいっぱいになりました。
関門海峡を越えたり、新幹線で小田原を通り過ぎたり、周囲の看板がスペイン語から英語に変わったりと、人によって「帰ってきたなぁ」と感じるポイントはいろいろあると思われますが、それに近い感覚を網走に着いて感じました。
冷静に考えると、このとき、まだ当日の宿泊先も決まっていませんし、雨で濡れたリュックサックの中身もそのままなので、何も大丈夫ではないのですが、網走から能取湖を一周してサロマ湖を訪れたり、特急列車に乗って旭川まで輪行したりと、いろいろと訪れてみたい場所が思い浮かんできました。
後日、「網走と聞いて明るい希望を持つのはお前だけだ」と突っ込まれることになるのですが、そう言えば、幼少の頃、家に一冊しかなかった日本の地図帳をつかって、日本語と一緒に必死に勉強したときに、網走市の位置も覚えたことを思い出しました。
網走という土地について、私が知っているのはその時に覚えたことだけです — この時までは。
網走駅を横目にさらに北を目指すと、ほどなくして灰色を帯びた水平線が目に飛び込んできました。太平洋岸の釧路からオホーツク海岸の網走まで道東縦断の完遂です。
はじめて目にするオホーツク海は、もちろん瀬戸内海とも日本海とも響灘とも異なりましたが、私にはどことなく懐かしく感じられました。
「なんだろうな」と考え続けていくと、昔に見たデンマークの海(バルト海)に似ているような気がしてきました。
網走の市街地を過ぎると、さすがに車も少なくなり、時折、通りかかる二輪車のライダーを除いては通行者もいなくなります。
彼らも本州や九州などから休暇に来ているようで、追い抜きざまにサムズアップのジェスチャーをしたり、すれ違う際に手を振ったりしてくれる人ばかりです。
こうした北海道のツーリング文化が気に入ったので、もう少し網走に滞在してみたくなりました。
しかし、困ったことには、網走にはホテルの空室が全くありません。
最寄りのホテルを探索したところ、この辺りの中心都市は北見市というところで、そこまで 40km ほど走れば、いくつもビジネスホテルがありそうな雰囲気がしました。
目的地さえ決まれば、「あとは走るだけ」なので気分も楽になってきて、本格的に北海道を楽しむ気持ちが高ぶってきました。
「予定は狂ってからが本番」というのも旅の醍醐味なのかも知れません。