荒川は遥か遠く

ランニングと3本ローラーに明け暮れている昨今ですが、休日ともなれば一人で街を抜け出して自然の中で開放感を味わいたいものです。

しかし、常用ホイールを失い、帰宅時間にも制限がある中では、思うように羽を伸ばすことも難しく、行き先の選択も保守的に皇居や晴海などの近場に限定されてしまいます。

これらの目的地は距離的に近いというだけで、そこに至るまでの道程は車も信号も多く、危険でストレスフルである事は、東京のロードバイク乗りの皆様のよく知るところと思われます。

そんな中、都内にありながら車も信号もない目的地として、思い至ったのが荒川サイクリングロードです。

東京特別区東部のどこかを流れている最も川幅の広い河川沿いにあると言われている自転車天国。

話に聞くところ、多摩川サイクリングロードよりも道幅が広い上、歩行者自転車ともに絶対数が少ないために、同じサイクリングロードでも遥かに快適という噂です (淀川と比較しても多摩川の環境が劣悪すぎるという事情もありますが)。

私は今迄に一度も荒川に行ったことがありません。

その理由はそこに至るまでの道路がとにかく信号ストップだらけで、まともに走れたものではないからです。

千代田区、台東区、江東区を結んだ三角地帯、東京に詳しい方には神田・日本橋・浅草・錦糸町と書いた方がイメージしやすいと思われますが、都心部の下町は通り抜けるだけでも辟易する程の交差点と信号があるのです。

碁盤の目のように整備された細い路地が方々に張り巡らされ、それらが交わるところにはほぼ確実に信号が待ち構えています。

しかも、この信号が頻繁に変わるので、200m置きどころか50m置きに信号に止められる区間も実在します。その拘束時間の長さと言えば、車で来ても自転車で来ても、ここを通り抜ける時間はほとんど変わらないというほどです。

はっきり言うと移動してるよりも信号に止められてる時間の方が長いです。

アクセスの悪さから今まで敬遠していた荒川サイクリングロードに、敢えて行ってみようという気分になったのは、使い易いクリンチャーホイールが全滅していたからかも知れません。

レース用のチューブラータイヤを持って奥多摩まで自走する気分にもなれませんし、貴重な晴れの休日に家に閉じこもってローラーを回しているのは余りにも惜しい。

どうせなら出かけてみよう。

そう思い立ってから70分が経過した頃、ようやく四つ木橋の袂の荒川河川敷に辿り着きました。

持ち出して来たのは、3本ローラートレーニング仕様のRaleigh Carlton Nです。

前輪は FELT 完成車に付属してくる RSL3リム & R3ハブ (レビュー未記載) という手組ホイール。後輪は ARAYA 謹製の AR-713 です。普通の完成車付属ホイールと異なるのは、スポークテンションを限界値まで張り上げてる事。

これに無印の RUBINO Slick タイヤを履かせています。

こんなローラー台用の適当な装備で、荒川峠と名高いサイクリングロードに挑んでも良いものか。

擦れ違うロードバイクの多さに若干の緊張を抱きながら、サイクリングロードに突入してみると意外にも走りやすい事に気がつきます。

多摩川と比較して舗装が綺麗で、凹凸が少なく、道幅も広い事が素性の良さを感じさせます。

ロードバイクこそ頻繁に通るものの、歩行者も自転車も圧倒的に少なく、伸び伸びと走れるのは大きな違いです。

気掛かりなのは、多摩川と比較してフットサルコートや野球場が道のすぐ真横にある事と、その近くでは関係者がしばしば道を横切る事です。

滅多にない事でしょうが、走行中にボールが飛んできた場合は避けようがありません。

またサイクリングロード一般に共通する事ですが、どこが本線なのか分かりづらく、進入路や行き止まりに迷い込む事があります。

それ以外は快適そのもので、バイク避けの障害物を越える時以外は一度も止まる事なく、時速30km/hを容易に維持し続ける事が可能でした。

非日常の開放感を堪能した後、家路につきます。

遥か遠くに見える池袋のサンシャインを目指して走りますが、一度、サイクリングロードを抜けると車の多さに爽快感が胡散霧消します。

このアクセスの悪ささえなければ。

そう思わせる荒川サイクリングロードには、また時間を変えて早朝に出かけてみたいと思います。

MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 台湾での旅の終わり


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


長かったヒルクライムレースも終了し、台湾を離れる日が訪れました。

永遠に続く夏休みのような雰囲気を持つ花蓮ともお別れです。

中央高地を彷彿とさせる高い山々と南国のヤシの木が同居する奇跡のような光景は、この街に独特のもの。

台北や台中といった大都会では見られません。




過酷なレースを終えたロードバイクを輪行袋に包み、花蓮火車站(駅)から北方を目指します。
左手に山、右手に海という壮大な地形に囲まれて、僅かな平地を列車が走り抜けます。

思えば、前回は深夜に訪れたため、この景色を目にするのは初めてです。


急峻な山合いを抜けて平地に辿り着くと、水田の中に建造物が増えてきました。

台湾東部の街、宜蘭(Yilan)の市街地に入ります。

すると列車は羅東(Luodong)という駅に停車します。乗客がどっと降りて、車内が空きます。

宜蘭を越えると新北市は目前です。新北市は英語では New Taipei City という名称を名乗っているように、台北市を囲む郊外であり、かつては臺北縣(台北県)だった地域だと聞きます。

せっかく自分たちで日程を組んで来ているので、台北に向かう前に瑞芳(Ruifang) 火車站にて列車を途中下車します。

駅前の店舗に自転車とスーツケースを預けて、バスに乗り換え、向かった先は九份 (Jiufen) という有名な観光地です。

台湾に来るのが初めてというみかんさんに、台湾観光らしいところを見せるべく定番の観光スポットへと立ち寄りました。



みかんさんが購入したのは、日本にもありそうな今川焼き。日本のものよりも甘さが控えめで、予想に反してあっさりとして美味でした。

私はブログのネタを作るべく、毒でもありそうな 凄い色をした果物の詰め合わせを購入します。

味は想像通りでしたが、予想に反して温くなっていたのが少しばかり残念でした。

もう少し冷えていれば、もっと美味しく頂けたでしょう。

一通り九份を見て回ったら、バスで下山して、再び瑞芳を目指します。九份と言えば夜景、眼下に海を見渡す絶景、金鉱山の歴史などが面白いところですが、私のようなロードバイク乗りにとっては山岳集落という点でも面白い土地です。

まるで日原(奥多摩町)のような急斜面の尾根伝いに、これでもかと言うほど店舗を詰め込んだ非日常感が堪りません。

もし仮に日原が観光・商業都市化したら似たような光景になるのでしょうか。

瑞芳で預けていた自転車を受け取り、列車に乗って、台北に到着した頃には既に夜になっていました。



台湾での最後の食事は、龍山寺の艋舺夜市で摂ります。

特に訪れたかった理由があった訳ではなく、台北駅で距離的に近く飲食店が多いところを尋ねた結果です。

飛行機の時間の都合で、みかんさんは台北には立ち寄らず、そのまま桃園空港を目指しました。

この辺りで留学時代の旧友(台湾人)と落ち合おうとしたのですが、運悪く連絡がつかなかった為に一人で夜市を歩きます。

しばし靴下やTシャツなどの土産物などを物色したら、翌日早朝の飛行機に乗り遅れないよう、私も空港を目指しました。

今日まで、ありがとう台湾。そして、また来年。



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MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 太魯閣を知る連続70kmのダウンヒル


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


70kmの登坂競争の末に辿り着いた 關原 は雲の中にありました。

この先をさらに進むと登り27%の急勾配に続き、アップダウンの連続する平均斜度15%の激坂区間を経て、森林限界を超えた高原地帯へと至るはずです。

ここから僅か10km。標高3000m超の世界が目前に迫ります。しかしながら、これまでの2000mの登りで疲弊した みかんさん は、大会運営の用意した送迎バスで麓まで降りると言います。

先に進んで頂上を目指していては、とても送迎バスが麓に到着する時間に合わせて下山できなくなるので、ここで折り返して自走で下ることに決めました。

「また来年」

次こそ、最高地点まで登りきって、フィニッシュラインを通過する。その日まで太魯閣とは、しばしのお別れです。

次回の訪問までに、この土地についてもっと知らなければなりません。

私が後にした關原が、岐阜県の関ヶ原に因んで名付けられた事、100年前に原住民と日本軍との戦争があった事さえ、私には初耳でした。




レース中は下ってきた坂を反対側から上り直すと 標高2150m地点の碧綠神木に辿り着きます。

何やら意味がありそうな場所ですが、尋ねてみると齢3200年の古木が存在するといいます。



該当の神木は、ちょっとした巻貝(ヘアピンカーブ)の下側にあります。

この街道沿いで最も高い木でもあるとか。

私は太魯閣について詳しくは知りませんし、中国語も話せません。

しかし、日本語と同等かそれ以上には英語を話せます。英語で臆することなく尋ねれば、自分の見識を広げる事ができます。

聞いているうちに、碧綠神木あたりでは頻繁に濃霧が発生する事も分かりました。

いつ訪れても霧に包まれている神秘的な場所に位置する事も、神聖視されるに至った間接的な理由の一つかもしれません。



さらにずっと下っていくと、天祥と呼ばれる太魯閣観光の拠点があります。

台湾の九華山と呼ばれる祥徳寺と自然の地形が織りなす光景が非常に美しいほか、コンビニや公衆トイレなどがあり休憩に最適なポイントとなっています。

ここまで下りて来ても、まだ標高は 480m もあり、市街地からは23kmも離れています。

標高をさらに落としていくと立霧渓(河川)が大理石を侵食することで形成された大渓谷が広がります。

「太魯閣」のイメージそのまま景色が圧倒的に大きなスケールで広がっています。


幾つかのトンネルを潜りながら渓谷を抜けると、やがて傾斜もなだらかになり、海沿いの平地へと辿り着きます。

後ほど知ったことですが、今日ヒルクライムレースで登り、また、折り返してきたこの道は東西横貫公路と呼ばれ、日本が軍用道路(その後に物資輸送路)として使用していた古道を元に多大な犠牲を払いながら約4年の歳月を掛けて完成させたものだそうです。

その工事の犠牲者を慰霊する長春祠という施設があるそうなのですが、残念ながら時間の都合で立ち寄ることはできませんでした。

親切な台湾の観光者達のおかげで多くのことを知れた太魯閣峡谷ですが、自転車で行ける東西横貫公路(臺8線)沿道しか見ていませんし、由来が分からずに紹介できなかった地点もたくさんあります。

その僅かな経験からでも言える事は、太魯閣はただの坂として登るだけでは、余りにも惜しい文化遺産でもありました。

圧倒的な大自然。3000mを優に超える獲得標高。世界中でここにしかない景色。

それに加えて、其処彼処に残る歴史の面影。

私は心からまた太魯閣を訪れたいと思うようになりました。

また来年。次はより深い理解を持って。

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