MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 太魯閣を知る連続70kmのダウンヒル


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


70kmの登坂競争の末に辿り着いた 關原 は雲の中にありました。

この先をさらに進むと登り27%の急勾配に続き、アップダウンの連続する平均斜度15%の激坂区間を経て、森林限界を超えた高原地帯へと至るはずです。

ここから僅か10km。標高3000m超の世界が目前に迫ります。しかしながら、これまでの2000mの登りで疲弊した みかんさん は、大会運営の用意した送迎バスで麓まで降りると言います。

先に進んで頂上を目指していては、とても送迎バスが麓に到着する時間に合わせて下山できなくなるので、ここで折り返して自走で下ることに決めました。

「また来年」

次こそ、最高地点まで登りきって、フィニッシュラインを通過する。その日まで太魯閣とは、しばしのお別れです。

次回の訪問までに、この土地についてもっと知らなければなりません。

私が後にした關原が、岐阜県の関ヶ原に因んで名付けられた事、100年前に原住民と日本軍との戦争があった事さえ、私には初耳でした。




レース中は下ってきた坂を反対側から上り直すと 標高2150m地点の碧綠神木に辿り着きます。

何やら意味がありそうな場所ですが、尋ねてみると齢3200年の古木が存在するといいます。



該当の神木は、ちょっとした巻貝(ヘアピンカーブ)の下側にあります。

この街道沿いで最も高い木でもあるとか。

私は太魯閣について詳しくは知りませんし、中国語も話せません。

しかし、日本語と同等かそれ以上には英語を話せます。英語で臆することなく尋ねれば、自分の見識を広げる事ができます。

聞いているうちに、碧綠神木あたりでは頻繁に濃霧が発生する事も分かりました。

いつ訪れても霧に包まれている神秘的な場所に位置する事も、神聖視されるに至った間接的な理由の一つかもしれません。



さらにずっと下っていくと、天祥と呼ばれる太魯閣観光の拠点があります。

台湾の九華山と呼ばれる祥徳寺と自然の地形が織りなす光景が非常に美しいほか、コンビニや公衆トイレなどがあり休憩に最適なポイントとなっています。

ここまで下りて来ても、まだ標高は 480m もあり、市街地からは23kmも離れています。

標高をさらに落としていくと立霧渓(河川)が大理石を侵食することで形成された大渓谷が広がります。

「太魯閣」のイメージそのまま景色が圧倒的に大きなスケールで広がっています。


幾つかのトンネルを潜りながら渓谷を抜けると、やがて傾斜もなだらかになり、海沿いの平地へと辿り着きます。

後ほど知ったことですが、今日ヒルクライムレースで登り、また、折り返してきたこの道は東西横貫公路と呼ばれ、日本が軍用道路(その後に物資輸送路)として使用していた古道を元に多大な犠牲を払いながら約4年の歳月を掛けて完成させたものだそうです。

その工事の犠牲者を慰霊する長春祠という施設があるそうなのですが、残念ながら時間の都合で立ち寄ることはできませんでした。

親切な台湾の観光者達のおかげで多くのことを知れた太魯閣峡谷ですが、自転車で行ける東西横貫公路(臺8線)沿道しか見ていませんし、由来が分からずに紹介できなかった地点もたくさんあります。

その僅かな経験からでも言える事は、太魯閣はただの坂として登るだけでは、余りにも惜しい文化遺産でもありました。

圧倒的な大自然。3000mを優に超える獲得標高。世界中でここにしかない景色。

それに加えて、其処彼処に残る歴史の面影。

私は心からまた太魯閣を訪れたいと思うようになりました。

また来年。次はより深い理解を持って。

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MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 雲の上に登るヒルクライムレース


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


最初から、薄々、気がついていました。名を連ねるスポンサーの豪華さ。レーシングゼロで最低ラインという決戦ホイール。アルミフレーム特有の溶接跡が見られないカーボンフレーム。Dura-Aceのクランク。

他の参加者の機材も、今までに参加したどのイベントよりも段違いに本気です。

それもそのはず。 MAXXIS TAROKO INTL HILL CLIMB は、乗鞍岳(自転車で行ける日本最高峰)の3倍 と形容される 獲得標高富士あざみラインと比較される 激坂区間 を併せ持った、世界でも有数の過酷なコースを走るヒルクライムレースだったのです。

私がその事実を知ったのは、しかし、大会前日の夜でした

そうでなければ、レース出場を意識したカーボンフレームにチューブラータイヤを履いて出場した事でしょう。

実際に私が乗ってきたのは、頑丈さと耐久性に全ステータスを振った、フォークまでクロモリ製の 10.02kg のエントリーモデルに、メンテナンス性とランニングコストを重視した 1,647g のホイールです。

利点と言えば、これに乗って登り慣れていることとスポーク切れなどのトラブルに強いことの2点のみ。

しかも、前日の雨とトラブルにより、潤滑油が流れ落ちていたり、後輪が縦・横の両方向に振れていたりしており、とても本調子ではありません。




そんな状態で気分も乗り気ではないので、朝は寝坊して4時半に隣室に泊まっていた みかんさん に叩き起こされます。

寝起きで食欲も湧かないため、ほとんど朝食にも手を付けずに、メカニックがいる事を期待半分、諦め半分の心情で会場のスタート地点を目指しました。

予報に反して天気は晴れ。早朝から南国の空が青に染まります。

スタート会場に着いて、スタッフに機材トラブルについて伝えると、その場でメカニックの人が振れ取りの応急処置を行って下さいました。あくまで緊急の応急処置なので、横振れも縦振れも取れた訳ではありませんが、調整前と比較すれば格段に良くはなっています。

6時のスタート時間が迫りつつあるので、受付を終えた選手から順次、海岸のスタート地点へと移動していきます。

最低限の調整を終えて、みかんさんと私もスタート地点へと向かいます。もうじきスタートが切られるはずです。

スタートの合図が鳴ると、集団が一斉に動き出します。

山麓に至るまでの数キロメートルの市街地では、各参加者が自身のペースで流して行く事で、自然と小さな集団がいくつも形成されます。

これから始まる長い登りに備える為か、最初から全力で飛ばす選手が一人もいない事が、却って出場者たちの経験を豊富さを際立たせます。




大理石の渓谷を抜け、幾つものトンネルを潜ると、徐々にヒルクライムレースの幕開けに相応しい山道へと景色が移り変わります。

勾配はまだまだ緩いので速度は落ちませんが、選手たちは徐々にバラけて、小さな集団を幾つも形成するようになってきました。

時折、登りの急勾配や、緩やかな下り坂が幾つか現れては、単調な峠道に彩りを添えます。その間にも標高は400m、600m、1000mと、どんどん上がり続けて行きます。

並みの峠であれば、1000mも登れば視界が開けて空が広く見渡せるものですが、ここは3000m級の山がひしめく台湾中央山脈。

海抜0mから1000mほど登ったところで、まだまだ谷の狭間でしかありません。

見上げれば、峡谷の対岸の遥か上へと続く道が見渡せます。

太魯閣の恐ろしいところは、前方や対岸に見えた道路のようなところには必ず行く事になるところです。この辺りには1本の道路しかないので例外はありません。

遥か下の方に見える、白く畝ったものが、先ほど通ってきた道路です。

まだまだ、この先 1000m ぐらいは登る事になります。

このレースの更に恐ろしいところは、途中に設けられた数少ないエイドステーションを多くの選手が無視して素通りしている事です。

レースとはこういうものなのかもしれませんが、意図せず初出場した私にとっては衝撃的な光景に他なりません。

標高1600m。スタート地点から約50kmほど走った地点で、ふと後輪が異様に重い事に気がつきました。

空気が全く入っておらず、リムで走行している状態でした。急いでタイヤを外し、チューブを入れ替えてインフレータを吹かしていると、5分ぐらいかけてサポートカーが到着しました。

開口一番に出てきた言葉は、「修理は良いので何か食べ物を持ってきて欲しい」の一言。

朝食をほとんど食べなかった上に、周りの選手に遅れまいとエイドステーションに立ち寄らずに来たので、既にハンガーノック気味だったのです。

そうこうしている内に、遥か後方に沈んでいた みかんさん に追い着かれます。これで1回目。

恐ろしい事には、2回目もあるのです。それもまたスローパンクが原因となって。

53km辺りに差し掛かったところで、また後輪が柔らかくなっている事に気がつきました。近くを走っていた他の選手(たまたま日本人でした)に予備のCO2ボンベを恵んでもらい、何とか2本目の予備チューブを嵌めなおして走行を続けます。

ここから7%を超える急勾配が頻繁に出てくるようになり、レース的にも佳境に差し掛かります。

碧綠神木までの 2100m までの登りから一転して現れるダウンヒルを超えて、チャレンジコース最後の登りである關原雲海までのラストスパートに全力でクランクを回します。

スタート地点からの距離 74.09km。標高 2375m の關原雲海に6時間0分代で辛くもゴールを決めました。

順位は制限時間内にゴールした60数人中の40番台。

そもそも圧倒的多数の選手が、この先、更に距離で10km、標高(獲得標高ではない)で1000mほど登る International コースの方に参加している上、制限時間内の完走者も少ないので、あまり参考になりません。

私もそちらに出たかったのですが、止むに止まれぬ事情で Challenge コースに参加する事になったのは前述の通りです。

「来年が本番」を合言葉に覚悟を新たにします。
マイペースで登ってきた みかんさん は、私のゴールより27分後に無事に完走し、欲しがっていたメダルと完走証を手にしました。

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MAXXIS 太魯閣ヒルクライム遠征 2016 大会前日受付


2017年9月の落石事故を重く受け止め、太魯閣渓谷と山道の危険性について記述しました (2017年9月17日追記)。


ホテルで目を覚ますと、眼前に広大な太平洋と海に迫る急峻な山脈が広がっていました。

ヒルクライムの受付開始時間は、公式ツアーの到着時刻に合わせて午後2時からとなっていますが、私が受付会場となる花蓮アスターホテルに到着したのは昨晩の真夜中。

台湾での自転車輪行について不安があったので、前日の午後の飛行機で先に会場に到着する事を選びました。

無事に輪行を済ませた後での感想を述べると、受付当日の朝に台北に到着して、そこから鉄道で花蓮で来る事も十分に可能でした。

時刻表で輪行可能と表示されている急行列車の予約が取れなくても、事前予約の不要な区間快で約4時間ほどで台北から花蓮までは辿り着けます(桃園からは約5時間)。

午前中の時間を利用して、みかんさんと花蓮の散策を行います。



昨晩に夕食に出かけたときには何も見えませんでしたが、花蓮は台中(台湾で3番目に大きな都市)を小さくしたような街で、派手な看板と雑然とした商店が中心市街に広がります。

駅前には GIANT STORE もあり、現地での自転車の整備にも困りませんが、昼食を摂る場所に若干の苦労を要しました。

昼時に開店している飲食店を見つけるのにまず苦労し、見つけたところでメニューが読めない事で更に苦労する事になりました。

簡単な挨拶や自転車の整備のためのフレーズよりも、まず、メニューが分かるようになる事の必要性を痛感しました。

大会受付に戻る前に花蓮駅前に寄り、大きな手荷物を預けます。

みかんさんと私は、今夜は大会会場となる太魯閣峡谷の近くに宿泊し、大会後にまた花蓮へと戻って来るためです。

太魯閣峡谷は、この花蓮の市街地から 20km ほど離れたところにあるので、そこまで大きな荷物を持って歩きたくはありません。

公式ツアー参加者の場合、受付会場の花蓮アスターホテルに泊まり、当日の朝に送迎バスで会場に行く事になります。

我々は前述の通り、公式ツアーを利用するつもりは微塵もないので、会場近くに自分でホテルを予約して、当日は自走で会場へと向かいます。




食事を済ませ、荷物を預けたら、アスターホテルに戻って大会受付を済ませます。

受付は午後2時からとなっていましたが、日本語のガイダンスは公式ツアーの到着に合わせて午後5時からとなっていました。

これから20km離れたホテルに行かなければならないので、受付はともかく、5時のブリーフィングの方は参加したくありません。

説明書を見ると参加できない場合は、個別説明や受付代行を行うので連絡をして欲しいとの記載があったので、スタッフを捕まえてブリーフィングに参加しなくても良いかどうかを英語で尋ねます。


何人かのスタッフに尋ねていると、日本人担当のスタッフが現れてブリーフィングの概要を教えてくれました。

彼女によるとブリーフィングでは、コースのルートや注意点を教えてくれるとの事。工事区間や路面の荒れた場所があるので、予め把握したい場合は参加してくださいと言われます。

ガレた林道なら任せろ 路面の悪い峠道には慣れているので大丈夫と答えると、参加しなくても構わないとの事なので、ゼッケンを付ける位置やスタート地点などの説明を受けて、受付会場を後にしました。

受付を済ませたら、今日すべき事は20km離れた宿泊先に辿り着くだけです。

アスターホテル前の海岸から新城郷へと続くサイクリングロード伝いに、みかんさんと自走で太魯閣峡谷を目指します。

途中で雨雲から逃げ切れずに集中豪雨を浴びたり、Garminの電池が切れて迷子になりかけたりしながら、ゆるゆると走って1時間ほどで到着しました。



到着時にはズブ濡れで、真っ先に行った事は雨で濡れた自転車の水抜きと、明日着るべきサイクルウェアの洗濯でした。

実はこの大雨がブリーフィングに出たくなかった最大の理由だったのです。

花蓮の天気は午後から降水確率100%の予報で、夜になっても雷が時折、暗闇を照らすほど荒れに荒れていました。

自転車の洗濯とウェアの洗濯を済ませて、明日の大会に持ち出すカメラの選定をしていたところ、みかんさんが部屋に訪れてきます。

曰く「ホイールが振れまくってたけど、明日のレース大丈夫?」。

ホイールが振れてる?レース?

実は私たちがエントリーした MAXXIS TAROKO INTL HILL CLIMB は、ファンライドではなくヒルクライムレースだったのです。

もともと大会に興味を持っていたのは みかんさん の方で、私は主に宿泊先や移動手段ばかりを調べていたので、大会の概要をまるで把握していませんでした。

ホイールの方は花蓮から新城郷への移動中にぶつけた時か、横方向に5mmは振れて左右にフラつき、回すと縦にも歪んで上下に跳ねるのが一目瞭然でした。

当初は何の問題もなかったため、ニップル回しも花蓮にいるスタッフに預けてきてしまい、既に現地に移動してきた私たちには手の施しようもありません。

最後の最後に不安な気持ちを抱えたまま、雷光に照らされる夜空を眺めているうちに眠りに落ちました。

大会当日に続く

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